〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木の歌を鑑賞しながら 短歌の基本中の基本を学ぶ 〜11/27

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バラ

KUポートスクエア

短歌の基本――創作と鑑賞 【ライブ配信(録画有)】

 (講座は始まっていますが、ご参考までに)

講座日程
第1回 2020/10/02 ①基本の基本 ②鑑賞 石川啄木『一握の砂』前半 ③実作指導
第2回 2020/10/16 ①基本の基本 ②鑑賞 石川啄木『一握の砂』後半 ③実作指導
第3回 2020/10/30 ①基本の基本 ②鑑賞 石川啄木『悲しき玩具』前半 ③実作指導
第4回 2020/11/13 ①基本の基本 ②鑑賞 石川啄木『悲しき玩具』後半 ③実作指導
第5回 2020/11/27 ①基本の基本 ②石川啄木の評論・エッセイを読む ③実作指導

講師紹介 阿木津 英(歌人日本文藝家協会会員)

神奈川大学みなとみらいエクステンションセンター<KUポートスクエア>)

 

短歌の基本――創作と鑑賞 【ライブ配信(録画有)】 | 阿木津 英 | KUポートスクエア

どなたでも応募できます!「啄木コンクール」作品募集 締切 1/31

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バラ

2021年度「啄木コンクール」作品募集! 新日本歌人

  時代と暮らしを見据えた
  意欲的で
  清新な短歌を募集します

応募要項
• 作品 短歌1人1編、20首
• 応募料 1000円(定額小為替
• テーマ 主題、内容は自由
• 表現形式 定型、口語・自由律を問いません
• 応募資格 どなたでも
• 応募締切 2021年1月31日(当日消印有効)
• 応募先  新日本歌人協会「啄木コンクール」係
 〒170-0005 東京都豊島区南大塚 3-40-8-3F

 

2021年度 啄木コンクール 作品募集 | 新日本歌人

「啄木のふるさと駅」の隣駅で鉄印帳をもらおう

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コブシ

岩手山望み広がる田園 IGRいわて銀河鉄道

鉄印帳

啄木のふるさと

  • 盛岡駅から乗車した。隣駅は、通勤者や通学者のために06年に開業した青山駅で、ここで鉄印がもらえる。市街地を抜けると、緑が増えてくる。渋民駅石川啄木の出身地に近く、その副駅名は「啄木のふるさと」だ。さらに進むと、南部富士の別名を持つ岩手山が近づいてくる。好摩駅を過ぎた辺りは、周囲に田んぼが広がり、左に岩手山、右に姫神山を望むぜいたくな光景が続く。(冨田駿)

青山駅で素早く対応

  • IGRいわて銀河鉄道の鉄印は、台紙に和紙を使い、書道が得意な女性駅員が書いた「いわて銀河鉄道青山駅」の筆文字が印刷されている。先を急ぐ鉄道ファンも想定し、どの駅員が応対しても素早く鉄印を提供できるよう準備しているという。鉄印帳の販売と鉄印の発行は、青山駅青山南口で。記帳は300円で、乗車券の購入が必要。

(2020-10-10 読売新聞)

 

岩手山望み広がる田園<IGRいわて銀河鉄道> : 鉄印帳を携えて : 企画・連載 : 岩手 : 地域 : ニュース : 読売新聞オンライン

啄木は さいごまでファイティングポーズをとり続けた!

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『かなしき時は君を思へり』カバー

『かなしき時は君を思へり 石川啄木と五人の女性』

 山下多恵子 著 発行所 未知谷

 

  山の子の
  山を思ふがごとくにも
  かなしき時は君を思へり
    (石川啄木『一握の砂』)

啄木の人生に登場する五人の女性
〈節子、京子、智恵子、小奴、カツ〉
について、彼女たちから見える啄木の人生

目次
はじめに
I 我ならぬ我――節子

  1 もうひとりの私
  2 待つ女
  3 郁雨をめぐって
  4 その後の一年
II ソニヤ――京子の歌
  1 叱られる京子
  2 ソニヤになろうとする京子
  3 京子の「故里」

III もう一つの「智恵子抄
  1 鹿の子百合
  2 ローマ字日記
  3 「忘れがたき人人 二」
  4 理想の女性像

IV さいはての町で――小奴
  1 釧路
  2 「妹になれ」
  3 上京後

V 「涙」から「涎」へ――母カツ
  1 盲愛
  2 「不幸の源」
  3 母の肖像

あとがき

 

 〈はじめに〉より
・啄木の魅力の一は、昨日の自分を、今日は乗り越えようとしていたことです。
・時に自暴自棄になりながらも、家族も生かし自分も生かす道を模索し続けます。
・作品はいいけれども人間としては駄目な奴だった、という旧来の啄木伝説を、鵜呑みにする人はさすがに少なくなってきたようです。しかし著名な方の中にも、誤解にまみれた啄木像を語る人たちが、いまだにいることを思えば、本書を世に出すことも、無駄ではないかもしれません。

〈あとがき〉より

・啄木はよく生きて、そして若くして逝ってしまいましたが、しかし彼はずっと生き続けている、と思うこともあります。
・啄木は何度も現実に叩きのめされながらも、そのたびに必ず立ち上がり、さいごまでファイティングポーズをとり続けました。その姿がいとおしく、いたましく……私は、姉のような気持で彼を想うことがあります。
・本書が、石川啄木の生きた姿の片鱗なりとも、お伝えできていれば幸いです。

 

 

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カバーを取ると さらに美しい!


『かなしき時は君を思へり 石川啄木と五人の女性』
 山下多恵子 著 未知谷
 2020年10月発行 1,800円(税別)

 

山下多恵子 著『かなしき時は君を思へり 石川啄木と五人の女性』(未知谷 刊/ISBN978-4-89642-622-9)の内容詳細

啄木の小説は「偉大なる未完成品」

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ヒガンバナ

<東北の本棚>短命、「偉大な未完成」

天鵞絨・他 石川啄木小説選 石川啄木 著

  • 盛岡市出身の歌人石川啄木は、24歳の時に第1歌集「一握の砂」を出版した。26歳の若さでこの世を去り、没後間もなく第2歌集「悲しき玩具」が出版された。活躍した期間はわずか10年ほどだが、多くの小説も残した。本書は、あまり知られていない啄木の小説選集で、創作順に「天鵞絨(びろーど)」(1908年)「鳥影(ちょうえい)」(同)「我等(われら)の一團(いちだん)と彼」(10年)の3作品が収められている。
  • 故郷の渋民村(現盛岡市)を舞台とした天鵞絨は、農家の娘2人が、かつて地元で店を営み東京で成功した理髪師の男性を頼って上京したものの、呼び戻される話。「鳥影」も舞台は渋民村。教養のある青年男女の交流と苦悩、恋物語などを描いた。「我等の一團と彼」は啄木が経験した新聞記者を題材に、記者らの人間模様をつづっている。
  • 生涯最後の小説「我等の一團と彼」は、社会主義者幸徳秋水らが死刑となった「大逆事件」を契機に発表した評論「時代閉塞の現状」につながった。この評論を高く評価する右遠氏は、批評精神が啄木の強みだと指摘する。啄木の小説を「偉大なる未完成品」とも形容する右遠氏は短命を悔やみ、「優れた文学精神の持ち主だった」と締めくくっている。(相)


 ◦本の泉社03(5800)8494=1760円。

 

<東北の本棚>短命、「偉大な未完成」 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS

啄木や賢治が愛した岩手山などで 初冠雪の便りがあるかも

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週末にかけ寒暖差に注意! 北海道では積雪レベルの寒気が南下

   日本気象協会 本社 樋口 康弘

  • 10月は半ばに差し掛かり、朝は顔を洗う水がキリッと冷たく感じられるようになりました。これから週末にかけて北日本には寒気が流れ込み、秋から冬へと季節が一歩前進します。詩人が愛した山々も雪化粧し、初冠雪があるかもしれません。

季節が一進一退 北日本には冬の便りも

  • 今夜からあす15日にかけて上空1500m付近には、山で雪となる目安の寒気(0度以下)が東北地方に、平地で雪となる目安の寒気(氷点下6度以下)が北海道に南下する見込みです。東北地方でも青森県岩木山八甲田山石川啄木宮沢賢治など日本を代表する詩人が作品のモチーフにした岩手県岩手山などで山頂が雪化粧し、初冠雪の便りがあるかもしれません。
  • 一般的に気温が5度変わると装いが変わるといわれます。日々の気温のアップダウンが大きくなるこれからの季節、お出かけに何を着れば良いか迷ってしまいますよね。tenki.jpでは日々の服装指数を確認することができます。ぜひ参考にしてみてください。

(2020-10-14 tenki.jp)

 

週末にかけ寒暖差に注意!北海道では積雪レベルの寒気が南下(日直予報士 2020年10月14日) - 日本気象協会 tenki.jp

“ ようこそ 啄木のふるさとへ ” 石川啄木記念館の次の50年に向かって

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アカガシ

石川啄木記念館だより 石川啄木記念館開館50周年特集号

 次の五十年に向かって

           館長 森 義真

  • 萬年山寶徳寺の裏山の丘の上に、石川啄木記念館が開館して50年が経ちました。人口わずか1万5千人の玉山村に、記念館をつくるにあたっては、村民や県民の皆様、それに全国の啄木ファンからの浄財が、乏しい村の財政を補って余りあるほど集まって実現したストーリーを見たり聞いたりしました。
  • たくさんのお客様が来てくださることにより手狭になり、昭和61年に、現在の建物が建てられました。啄木の詩「家」に描かれた理想の家、啄木が住みたかったであろう家をイメージしたデザインの新館でした。この年に、過去最高の入館者「11万6896人」を記録しています。
  • 敷地内には、啄木の母校であり、啄木が代用教員を務めた旧渋民尋常小学校校舎と、その際に一家で間借りした旧齊藤家があります。中庭の一番人気は「啄木と子供たち」の像です。記念写真撮影スポットになっています。
  • 「ようこそ、啄木のふるさとへ」のキャッチフレーズを玄関に掲げ、海外も含めた全国からのお客様をお迎えしつつ、諸行事や諸活動を通じて、次の50年に向かって、これからも郷土の先人「石川啄木」の顕彰活動を続けてまいります。

石川啄木記念館だより 第7号 2020.9.15)

『友がみなわれよりえらく見ゆる』のはつらいがアイデンティティーを形成する上では必要

      f:id:takuboku_no_iki:20201013160436j:plain

 

NIKKEI STYLE

50分で教科書たった1行!? オンラインでは不可能!奈良・東大寺学園の「自由すぎる授業」

《連載》進学校の素顔 東大寺学園中学・高校(上) 教育ジャーナリスト・おおたとしまさ

東京大学京都大学に毎年、多数の合格者を輩出する東大寺学園中・高等学校(奈良市)。生徒たちの高い学力を支えているのは、型にとらわれない自由な校風と授業風景にあるようだ。

生徒だけでなく教員も自由の体現者

「普通の授業」は絶対しない

藤嶽先生 「きょうから教科書行きます!」
生徒たち 「うそやん!」
この日読むのは鷲田清一氏の「<わたし>のいる場所」という文章。

「人生の目的は生殖である」!?

ここでいう「生殖」とは単に性行為のことをいっているわけではもちろんない。そこで石川啄木の『一握の砂』という歌を引く。

  友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
  花を買ひ来て妻としたしむ

藤嶽先生 「我々人間は常に他者と比較しながら生きてるのね、僕らはね……」

さきほどまでの熱狂が嘘のように静まりかえり、生徒たちは藤嶽先生の話に聞き入る。明らかに雑談であるが、先生がいま、教科書に書いてあること以上に大事なことを話してくれていることを察知しているのだ。

藤嶽先生 「『who』を自覚するためには『他者』の存在が必要です。自分と他者がお互いに、他者を鏡として自分を認識している。つまり『自分』とは『他者の他者』であるということができるわけです。『友がみなわれよりえらく見ゆる』というのはつらいことでもあるけれど、アイデンティティーを形成する上ではとっても必要なことです」

(2020-10-07 yahoo News > NIKKEI STYLE)

 

50分で教科書たった1行!? オンラインでは不可能!奈良・東大寺学園の「自由すぎる授業」(NIKKEI STYLE) - Yahoo!ニュース

首都圏の“もりおか”のカケラを訪れて、皆さんの“そ”を楽しんで!

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上野駅の啄木歌碑 〈ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく〉

LITTLE MORIOKA

首都圏に住む盛岡好きに贈る!盛岡関連スポット100箇所を掲載したGoogleマップ上のオリジナルマイマップ「Kitsutsuki」を作成

みなさん、こんにちは!

外出も以前よりはしやすくなってきた今日この頃。とはいえ、新型コロナウイルスの影響で、まだ盛岡に帰省できてない方も多いと思います。

こうした方々のため、リトルもりおかでは、これまで集めてきた首都圏の盛岡関連スポットをGoogleマップのマイマップ機能を活用してまとめたオリジナルマップ「Kitsutsuki」(キツツキ)を作成しました。

 

「Kitsutsuki」のURL:
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1JSvaEV6ih505BAtf3_zWKp0rH3L1FARq&ll=35.69210372303548%2C139.71279222667764&z=9


首都圏に散らばる“そ”を聴いてほしい、啄木をもとにネーミング

ここでひとつ、なぜKitsutsukiというネーミングにしたのかお話しますね。

Kitsutsuki=啄木鳥(キツツキ)

漢字で書くとこうなります。

実は「啄木鳥(キツツキ)」は、盛岡が生んだ偉大な歌人石川啄木の雅号(がごう)の由来にもなったと言われているんです。一説によると、啄木は東京にいた頃、「故郷に啄木鳥の鳴き声を聞きに行ってきます」と幼少期を過ごした渋民に帰っていたそう。

盛岡が生んだ偉人・石川啄木

啄木が、故郷の訛りが懐かしくて、上野駅に“そ”を聴きに行ったように、このマップに散らばった首都圏にある“もりおか”のカケラを訪れて、皆さんそれぞれの“そ”を楽しんで欲しい。そんな思いを込めてKitsutsukiと名付けました。

(2020-10-08 LITTLE MORIOKA)

 

首都圏に住む盛岡好きに贈る!盛岡関連スポット100箇所を掲載したGoogleマップ上のオリジナルマイマップ「Kitsutsuki」を作成 │ "ちいさなもりおか"を発信するメディア

「ダリア <4>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料- (おわり)


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 ダリア<4>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

ダリア
     放たれし女のごとく、

     わが妻の振舞ふ日なり。

      ダリヤを見入る。

 

 

  • 「放たれし女」とは、束縛から解放されて自由になった女、の意となります。当時の女性にとって束縛の最たるものは「家」の制度でした。したがって啄木の「放たれし女」にもそれからの解放の意が含まれているのはたしかです。しかしその「女」は「離縁された女」なのではなく、自らの意志で「家」の束縛から解放されて自由になった女、でなくてはなりません。
  • 「放たれし女」と啄木が言うとき、イプセン『人形の家』のヒロイン、ノラのような女性をイメージするのがもっとも近いかと思われます。
  • 啄木と節子が知り合ったのはかぞえ年で14歳の時(今の中学1年生くらい)でした。二人がどんなに甘い夢を見たか、啄木の日記(1902年11月30日)の次の箇所が教えてくれます。

「恋人(節子)は云う、……狭き亜細亜の道を越えて立たん曠世の(世にまたとない)詩才、君ならずして誰が手にかあらんや。妾も君成功の凱旋の日には、成功に驕る手か失敗にわなゝく指かして祝いの歌奏でん。」

  • 少年少女は満16歳でした。

(近藤典彦 『啄木短歌に時代を読む』 吉川弘文館 2000年1月)

 

 


 

 

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  • 作歌は明治44年の夏以降と思われるが、妻の節子は43年の10月に、姑との不和から娘の京子を連れて盛岡の実家に帰ってしまったことがあった。節子は戻って来たが、「解けがたき不和」は続いていた。
  • そして、明治44年2月の啄木の発病を期に、“啄木一家”は不幸の一途をたどるのである。先ず再び節子の盛岡への帰省をめぐって、実家の堀合家と行き違いが生じ、啄木は堀合家と義絶した。更に、啄木が無二の親友として精神的にも経済的にも、ひたすら頼りきっていた函館の友人宮崎郁雨から、妻の節子宛におくられてきた一通の恋文めいた手紙によって、啄木は節子に離縁を申し渡し、郁雨とは絶交した。
  • これはまさに「啄木最後の苦杯」であったと思うが、私はこの時の啄木の行状は、節子の心情を無視したものであり、暴君的であったと思われてならない。
  • 節子は三年前に夫の啄木から函館に置き去りにされた。その時彼女は、娘の京子と姑のカツをかかえて夫の友人である宮崎郁雨の助けもあったが、代用教員をするなどして一年間を過ごしたのである。
  • 夫婦とはかなしいものだと私は思う。胸の中に思うことを素直に言えば、相手を悲しませることもある。が、そのようなことを思わずにはいられない時もある。

(佐藤勝 『資料 石川啄木』 武蔵野書房 1992年3月)

 

 


 

 

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  • 「放たれし」とは「追放された」という意味です。この頃の啄木は、自宅で療養生活をしていました。しかし、生活費が底をつき、妻・節子は新聞社から啄木の給料を前借りしたり、質屋へ物を売るなどして凌いでいました。また、北海道にいる友人・宮崎郁雨の経済的援助にも助けれらていました。しかし郁雨と節子に対して、啄木の誤解が生じました。啄木は節子に離縁を申し渡しました。しかし、節子は出ていくことはありませんでした。

(山本玲子 『啄木歌ごよみ』 石川啄木記念館編・出版 平成12年9月)

 

 


 

 

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前田夕暮「みだれさしのだりやの花にそそられしみだら心のはづかしさかな」

若山牧水「肺もいまあはき疲れに蒼むめりダリアの園の夏の朝の日」

北原白秋「身の上の一大事とはなりにけり紅きダリヤよ紅きダリヤよ」

  • こうした啄木と同時代歌人のダリヤの歌を眺めてみると、何かそこはかとない官能のにおいが揺曳する傾きがあるようにも思われる。色彩のあらわなダリヤが引き出す官能やアンニュイがある。啄木歌において、放たれし女のごとくある種軽やかに振る舞う妻を目にして、その妻の様子とダリヤの花のイメージにはやはり連関がある。ただ、官能と言ってはやや違和感があろう。ダリヤを「見入る」孤独をいだきながら、妻への愛染がそこにはほのかに揺曳しているとも想像される。

山田吉郎 「啄木短歌この十首」 国文学「解釈と鑑賞」 至文堂 2004.2)

 

 


 

 

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  • 「放たれし女」とは、イプセンの戯曲『人形の家』のヒロイン、ノラのように、家や夫の拘束から解き放たれた女性という意味だ。世間体や家族の義務を持ち出す夫ヘルメルに対してノラは、「私はただしようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているだけです」と答え、家を出て行く。ノラのように、妻は、「私だって家を出たいと思うことがある」という気持を抱くことがあったのだろうか。妻から視線をそらせて、夫の視野に入ってきたのは、庭のダリヤの花である。その深い色は妻の心に隠された情熱の暗示である。夫は自分が妻を拘束している原因の一つであることを意識している。
  • さて、啄木は妻節子にとってよい夫ではなかった。結婚式には出なかったし、豊かではない暮らしから脱却することができなかった。つねに自分の課題の追求を第一としていた。しかし、節子は夫の表現の価値と意味をよく理解していた。破棄を依頼されていた日記や、小説の原稿は、残されて、私たち後世の読者は、啄木の表現の全貌を知ることができる。自分が選んだ夫は、生活面ではいろいろ不足するところもあったが、表現者としては尊重すべきところがあると、節子は考えていた。

(木股知史 「人生という小宇宙」 別冊太陽「石川啄木 漂泊の詩人」 2012年)

 

 

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 (おわり)