〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「ダリア <4>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料- (おわり)


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 ダリア<4>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

ダリア
     放たれし女のごとく、

     わが妻の振舞ふ日なり。

      ダリヤを見入る。

 

 

  • 「放たれし女」とは、束縛から解放されて自由になった女、の意となります。当時の女性にとって束縛の最たるものは「家」の制度でした。したがって啄木の「放たれし女」にもそれからの解放の意が含まれているのはたしかです。しかしその「女」は「離縁された女」なのではなく、自らの意志で「家」の束縛から解放されて自由になった女、でなくてはなりません。
  • 「放たれし女」と啄木が言うとき、イプセン『人形の家』のヒロイン、ノラのような女性をイメージするのがもっとも近いかと思われます。
  • 啄木と節子が知り合ったのはかぞえ年で14歳の時(今の中学1年生くらい)でした。二人がどんなに甘い夢を見たか、啄木の日記(1902年11月30日)の次の箇所が教えてくれます。

「恋人(節子)は云う、……狭き亜細亜の道を越えて立たん曠世の(世にまたとない)詩才、君ならずして誰が手にかあらんや。妾も君成功の凱旋の日には、成功に驕る手か失敗にわなゝく指かして祝いの歌奏でん。」

  • 少年少女は満16歳でした。

(近藤典彦 『啄木短歌に時代を読む』 吉川弘文館 2000年1月)

 

 


 

 

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  • 作歌は明治44年の夏以降と思われるが、妻の節子は43年の10月に、姑との不和から娘の京子を連れて盛岡の実家に帰ってしまったことがあった。節子は戻って来たが、「解けがたき不和」は続いていた。
  • そして、明治44年2月の啄木の発病を期に、“啄木一家”は不幸の一途をたどるのである。先ず再び節子の盛岡への帰省をめぐって、実家の堀合家と行き違いが生じ、啄木は堀合家と義絶した。更に、啄木が無二の親友として精神的にも経済的にも、ひたすら頼りきっていた函館の友人宮崎郁雨から、妻の節子宛におくられてきた一通の恋文めいた手紙によって、啄木は節子に離縁を申し渡し、郁雨とは絶交した。
  • これはまさに「啄木最後の苦杯」であったと思うが、私はこの時の啄木の行状は、節子の心情を無視したものであり、暴君的であったと思われてならない。
  • 節子は三年前に夫の啄木から函館に置き去りにされた。その時彼女は、娘の京子と姑のカツをかかえて夫の友人である宮崎郁雨の助けもあったが、代用教員をするなどして一年間を過ごしたのである。
  • 夫婦とはかなしいものだと私は思う。胸の中に思うことを素直に言えば、相手を悲しませることもある。が、そのようなことを思わずにはいられない時もある。

(佐藤勝 『資料 石川啄木』 武蔵野書房 1992年3月)

 

 


 

 

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  • 「放たれし」とは「追放された」という意味です。この頃の啄木は、自宅で療養生活をしていました。しかし、生活費が底をつき、妻・節子は新聞社から啄木の給料を前借りしたり、質屋へ物を売るなどして凌いでいました。また、北海道にいる友人・宮崎郁雨の経済的援助にも助けれらていました。しかし郁雨と節子に対して、啄木の誤解が生じました。啄木は節子に離縁を申し渡しました。しかし、節子は出ていくことはありませんでした。

(山本玲子 『啄木歌ごよみ』 石川啄木記念館編・出版 平成12年9月)

 

 


 

 

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前田夕暮「みだれさしのだりやの花にそそられしみだら心のはづかしさかな」

若山牧水「肺もいまあはき疲れに蒼むめりダリアの園の夏の朝の日」

北原白秋「身の上の一大事とはなりにけり紅きダリヤよ紅きダリヤよ」

  • こうした啄木と同時代歌人のダリヤの歌を眺めてみると、何かそこはかとない官能のにおいが揺曳する傾きがあるようにも思われる。色彩のあらわなダリヤが引き出す官能やアンニュイがある。啄木歌において、放たれし女のごとくある種軽やかに振る舞う妻を目にして、その妻の様子とダリヤの花のイメージにはやはり連関がある。ただ、官能と言ってはやや違和感があろう。ダリヤを「見入る」孤独をいだきながら、妻への愛染がそこにはほのかに揺曳しているとも想像される。

山田吉郎 「啄木短歌この十首」 国文学「解釈と鑑賞」 至文堂 2004.2)

 

 


 

 

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  • 「放たれし女」とは、イプセンの戯曲『人形の家』のヒロイン、ノラのように、家や夫の拘束から解き放たれた女性という意味だ。世間体や家族の義務を持ち出す夫ヘルメルに対してノラは、「私はただしようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているだけです」と答え、家を出て行く。ノラのように、妻は、「私だって家を出たいと思うことがある」という気持を抱くことがあったのだろうか。妻から視線をそらせて、夫の視野に入ってきたのは、庭のダリヤの花である。その深い色は妻の心に隠された情熱の暗示である。夫は自分が妻を拘束している原因の一つであることを意識している。
  • さて、啄木は妻節子にとってよい夫ではなかった。結婚式には出なかったし、豊かではない暮らしから脱却することができなかった。つねに自分の課題の追求を第一としていた。しかし、節子は夫の表現の価値と意味をよく理解していた。破棄を依頼されていた日記や、小説の原稿は、残されて、私たち後世の読者は、啄木の表現の全貌を知ることができる。自分が選んだ夫は、生活面ではいろいろ不足するところもあったが、表現者としては尊重すべきところがあると、節子は考えていた。

(木股知史 「人生という小宇宙」 別冊太陽「石川啄木 漂泊の詩人」 2012年)

 

 

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 (おわり)