啄木文学散歩・もくじ 北海道から沖縄まで 啄木ゆかりの場所を訪ねて
館山市 ─ 啄木の妻・節子が千葉県の房州北条で暮らした日々を辿る 2025年 <1> <2> <3> <4> <5> <6> <7> <8> <9> <10> <11>
海は すぐそこに

館山で合宿をする学校のボートが松林の中にあった。
・八幡神社の前の県道から海岸へ下り海から300m程手前の松並木を南へ100m余、道の東側の水田二輔氏(水田三喜男氏令兄)の元の邸が当時の素人下宿片山かのさんの屋敷跡である。
(『新版 館山市文学散歩』 利田正男著 昭和47年発行(要約))
・明治45年5月1日、身のまわりを一人で整理し、思い出の久堅町の家をひき払って霊岸島の梅屋旅館に一泊し、翌早朝東京湾汽船に乗って房州北条に渡った。北条についた節子はコルバン夫人に会って事情をよく話し、援助をこうた。夫人はコルバン家の筋向かいの片山カノ宅を宿舎として紹介してくれた。
(『啄木の妻節子』 堀合了輔 洋々社 昭和56年発行(要約))

館山シーサイドホテルの入口。
節子の家から海へ向かう道の途中にできたホテル。
このあたりの温泉掘削は1950年代に始まった。
1988年にシーサイドホテルの前々々身(?)が建てられたらしい。
(つづく)

CMでも有名な原岡桟橋
「岡本桟橋」が正式名称。原岡海岸にある岡本桟橋。
富浦町に大正時代に漁業用としてつくられた木製の橋。160メートルの長さがある。
海は穏やかだったが、桟橋にぶつかった波が砕け、飛沫がかかる場所がある。
タイミングをはかって渡る。先端まで8本縦に並ぶ「すのこ」をたどる。

夕日を楽しめるスポット。
振り返ったら桟橋にはもう誰もいない。