郁雨の古里に並ぶ 郁雨と啄木の歌碑 <8>
新発田市は越後平野の北部にあり、人口 91,589人(2023年10月末現在(新発田市役所 推計人口))。江戸時代末期には10万石の城下町だったという。
ウイキペディアの「新発田市」のページには著名な出身者として「宮崎郁雨(歌人)」の名前が載っている。
新発田郷土研究会は、2023年1月に「石川啄木と宮崎郁雨」と題して郷土史講座を開いた。講師は阿部聡氏。
・函館の郁雨は啄木を短歌へ回帰させ、出来得る限りの金銭的支援をした。啄木の死後は函館図書館長の岡田健藏と共に函館に啄木一家の墓を建て、函館図書館内に「啄木文庫」を開設し、啄木資料の収集と顕彰に務めた。
・郁雨の啄木に対する支援は並外れており、『一握の砂』は郁雨と金田一京助に捧げられた。郁雨の献身はたぐいまれな「人助け」精神によるものだが、それはどこからきたのか。第一に父の影響。「他人を喜ばせることが出来る者は仕合わせ」「人のためになれ」との教えが「私の一生の運命を左右して居るんではないか」(阿部たつを編『風鐸』より)との想い。幼少時の極貧時代に無償で鶴岡学校に通った体験も大きい。
・いずれにせよ、郁雨は新発田・荒川が生んだ並外れた「人助けの人」。同郷の誇りとしたい。
(シバタ オレンジ プレス 令和5年2月25日号)
(つづく)
北海道から沖縄まで 啄木ゆかりの場所を訪ねて - 〖 啄木の息 〗