〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

岩見沢市の北村謹に嫁いだ智恵は 啄木の憧れの人だった

啄木が智恵について詠んだ歌碑 岩見沢

<北海道岩見沢市・広報いわみざわ>市制施行80周年受け継がれる想(おも)い

広報いわみざわ(北海道岩見沢市)

2023年6月号

岩見沢は今年、開庁140年、市制施行80周年を迎えます。これを記念し、岩見沢のこれまでのあゆみや岩見沢に関わりの深い人、出来事などを紹介します。

第3回北村の由来北村雄治(きたむらゆうじ)とその兄弟

  • 北村の地名は、開拓者の北村雄治の苗字をとったものです。雄治は、山梨県中巨摩郡鏡中條村(現南アルプス市)の酒造業の家で育ちましたが、父の急逝や酒蔵の火災などから家業の継続を断念。明治27年山梨県から移民約130人とともに岩見沢村狐森(現北村豊里)に入植、農場を開設しました。続いて弟の北村黽(びん)、北村謹(きん)らが入植しました。
  • 甲州財閥の根津嘉一郎らに支えられながら、結核を患った兄に代わって農場を継承し農場一帯は人口が増え、施設も整ってきたことから、明治33年7月に岩見沢村から独立、北村が誕生しました。
  • 謹は、大正3年に分家して北村牧場を開き、ホルスタイン種の飼育を普及、乳製品など農業の多角経営に取り組みました。また、謹に嫁いだ智恵(ちえ)は元小学校教師の才女で、北村豊里の鏡沼には智恵の同僚だった歌人石川啄木が彼女について詠んだ歌碑があります。
  • 新天地開拓に戸主として踏み出した雄治は32歳で早逝しましたが、事業を守成した弟の黽と謹が北海道開拓の夢を実現しました。それぞれのつとめを果たした兄弟の企業家精神は、明日への希望を与えてくれます。

(2023-06-07 dメニュー > マイ広報誌)

 

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岩見沢市の北村牧場 「啄木の息」

北海道 ─ 岩見沢 北村牧場、美唄駅、砂川市、旭川市 - 〖 啄木の息 〗