〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「我」は なまりに耳を傾け「ふるさと」から排除された人たちの叫びを聴く

啄木歌碑 上野駅構内

 【解説】ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 石川啄木 意味・表現技法・文法

地方から都会に出て、孤独をかみしめている人にとって心にしみる歌だろう。啄木が詠んだ「ふるさと」は、優しく包み込んでくれる一方で、弱い者を冷たく突き放す場所でもあった。

    ふるさとの訛なつかし
    停車場の人ごみの中に
    そを聴きにゆく

       石川啄木『一握の砂』


・読みと歌の意味
・語句・文法
・表現技法・句切れ
・鑑賞

 

この歌に詠まれた停車場は、東京の上野駅だとするのが定説だ。東北への玄関口であり、上京した人、帰郷する人が行き交い、見送りや出迎えの人が集まり言葉を交わすから、ここへ行けば東北弁を容易に聞くことができたからだ。

「人ごみ」としての「我」

  • それを考えるために、まず「人ごみ」の表記に着目したい。通常は「人込み」と表記し、多くの人で込み合っている状態を意味する。しかし、ここではあえて「人ごみ」という表記が選ばれている。なぜか。「ごみ」という表記と語感が想起させるイメージを重ねるため、というのが私の考えだ。
  • 「人込み」と書く場合、多くの人が集まっているというイメージが強くなるが、「人ごみ」には、「ごみ」の本来の意味である塵芥(ちりあくた)、くず、役に立たないものという意味とイメージが人の群れに重なる。
  • 語り手には、停車場にいるのは、「人々」というよりも「人ごみ」と呼ぶのにふさわしい、そうした種類の人たちであるという認識がある。生活に疲れ、社会の中心からはじき出され、見捨てられた人たちだ。言うまでもなく、語り手自身もそうした「人ごみ」の一員である。

停車場の歌に詠まれた「人ごみ」の中には、こうした「ふるさと」を棄て、あるいは棄てられた人たちがいる。「我」は、心の中にある「ふるさと」をなつかしむと同時に、そうした弱い人たちに自分の似姿を見て心を寄せている。「我」はなまりに耳を傾けながら、「ふるさと」から排除された人たちの叫びを聴いている。

(2022-07-03 あしかレビュー)

 

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