〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「賢治と啄木~『北方文化圏』の旅」外岡秀俊

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スモモ

連載 2050年のメディア

第102回 2011年3月の外岡秀俊 朝日退社前 最後のメールを読む=下山進

 サンデー毎日 

  • 朝日新聞では、毎月最も素晴らしい記事を書いた記者に「いい文賞」を、人に関する最も魅力的な記事を書いた記者に「いいひと賞」を、選んで授与することが長く行われている。2011年3月末に社員に送られた〈2月の「いい文賞」「いいひと賞」選考経過」〉のメールは外岡秀俊が書いている。
  • 外岡は、早期退職をとって、2011年3月末日で朝日を退社することが決まっていた。昨年末、心不全で亡くなったこの稀代の名文家については、すでに紹介しているが、今回は、その外岡が朝日の社員として同僚に送ったこの最後のメールについての話をしよう。
  • 今回たまたま、そのメールを入手したが、地震が起こってまだ2週間余りであるにもかかわらず、外岡はここまでわかっていたのかと、目が覚める思いだった。

津波では、多くの人が自宅、車、家具調度、思い出の品々の一切を失っている。家屋が倒壊しても、家財道具を取り出せた他の大震災とは、そこが違う。文字通りの無一物で、着の身着のままの人が圧倒的に多い。しかも、発災時刻が活動時間帯だったため、家族が別々に被災し、行方不明の人が多い。連休明けの未明に起きて、家族と一緒だった阪神大震災とはそこが違う。くれぐれも、自らの言動に気をつけよう〉

〈日々の行動を自分で記録しておこう。この災害報道では、のちに多くの教訓や明日への指針が明らかになる。短いメモでもよいから、書き残そう〉

  • 外岡は札幌南高校の同級生だった澤田展人の個人誌『逍遥通信』第6号に「賢治と啄木~『北方文化圏』の旅」という原稿を自らの帰郷を重ね合わせて書いている。
  • 退社後も、宮沢賢治の作品が全て収録されている第三書館の『ザ・賢治』を抱え、被災地に通い、ルポを発表し続けた。外岡の遺稿となった「賢治と啄木」を読むと、札幌に帰郷したことが、むしろ書き手としての深みを与えていることがわかる。

(2022-03-22 サンデー毎日

 

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