社会文学 第55号 2022年3月1日
特集 文学から読み解く感染症──身体・分断・統治
啄木作品から結核を読み解く
──男性の悲劇物語と運命の神から科学の重みへの変化──
池田 功
(つづき)
<その2>
- 啄木存命中の結核死亡数は女性の方が多かった。啄木の身近でも長姉が31歳で結核で亡くなっている。「義兄から来信。死因が肺結核であつたこと、終焉の時近き来る病床に横はり、度々の喀血に気力おとろへ、痩せて蒼ざめて見る影もなき顔をあげて」(日記、1906年3月19日)云々と、五人の子供を残して亡くなった長姉の悲惨な死について記している。
- また、若い女性の結核死亡率が著しく高い理由は、1872年の富岡製糸場から始まる女工問題があった。しかし、啄木全集にはこの言及もない。
なぜ女工のことを記していないのか。女工の問題は啄木の時代には公にされておらず知るきっかけがなかったのである。 - このように、啄木の時代には男性よりも女性の方の結核による死亡率が高く、長姉が結核で亡くなり、その後啄木の母も結核で亡くなり、妻の節子も結核性の病に冒されていた。しかし、啄木の作品には、結核で病んだり亡くなったりする女性が描かれることはほとんどなく、男性、それも青年が中心だったのである。これは一体なぜなのであろうか。
四 立身出世や徴兵による青年の悲劇
- 明治時代は立身出世の時代となったが、それはまず学歴を得ていくことであった。しかし、この学歴競争に参加できたのは、男子だけであった。女子の高等教育は一般的ではなかった。
- 啄木は「軍人になると言ひ出して、/父母(ちちはは)に/苦労させたる昔の我かな。」(『悲しき玩具』)という歌を詠んでいる。この歌を岩城之徳は、「当時の盛岡中学校は『立志』の気風にあふれ、軍人志望の者も多かった。啄木はこうした風潮に刺激され、(中略)海軍士官を夢みたこともあった。」と解説している。
- ところが、実際に徴兵検査を受けた時は異なっていた。1906年4月21日の日記に、「筋骨薄弱で丙種合格、徴集免除、予て期したる事ながら,これで漸やく安心した。自分を初め、徴集免除になつたものが元気よく、合格者は却つて頗る銷沈して居た。」と記している。
- それは、直前にあった日露戦争がいかに悲惨であったかを知っていたからである。
- 啄木自身は、詩歌や小説に一青年の結核死を徴兵検査や戦争とからめて描くことはできなかった。しかし、その重要性は啄木自身も十分に意識していたことであろう。
(つづく)