東北新幹線“かつての終着駅”「盛岡」には何がある?
“新幹線イヤー2022”…「盛岡」には何がある?
東北新幹線は1982年6月23日、大宮~盛岡間で開業した。つまり今年は開業から40年の節目というわけだ。
国鉄盛岡工場があった西側と、“正面”の東側
駅の西側はかつて国鉄盛岡工場のあった一帯で、その跡地が再開発されて生まれ変わったエリアだ。
対して東側は盛岡の市街地に続くいわば“正面”だ。ちょっとした広場には、朝ドラ『どんど晴れ』のロケ地になったということを示すパネル。そして、石川啄木の歌碑がある。
石川啄木は、盛岡の出身だ。その縁からか、盛岡駅の正面には啄木の筆による「もりおか」という文字が大きく掲げられている。駅前には歌碑もあるし、盛岡が産んだ最大の偉人といった誇りすら感じられる。そりゃあ、近代日本が誇る歌人なのだから当然だろうとも思うし、啄木が偉大であることに異論はない。
新幹線がやってきてもう40年、終着駅でなくなって20年が経った
石川啄木は、1902年に中学を中退して家の最寄りの好摩駅から上京をした。いまはIGRいわて銀河鉄道とJR花輪線が分かれる小駅の好摩駅だが、啄木が旅立った駅として、駅舎の壁には盛岡駅同様に啄木の筆で「こうま」と書かれている。
もし啄木が新幹線の時代に生まれていたら、きっと好摩駅ではなく盛岡駅までクルマでやってきて、そこから新幹線に乗っただろう。そうなると、岩手県の小さな駅が“啄木のふるさとの駅”などとされることもなかったということになる。良いか悪いかはともかく、新幹線はやはり偉大なのである。(鼠入 昌史)
(2022-02-28 文春オンライン)
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