〖 啄木の息 〗

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「…… ここに恋ひ恋ふ君と我と見る」与謝野晶子

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ツバキ

真生(SHINSEI)2021年 no.315

与謝野晶子と花」

  『みだれ髪』  近藤典彦

 今回は与謝野晶子と花を読みます。晶子(1878〜1942)は生涯に24冊の歌集を出しましたが、最高傑作は第一歌集の『みだれ髪』(1901年〈明34〉8月刊)です。美しくも大胆な性愛賛歌の集です。たとえば次の歌をご覧ください。 

 

  道を云はず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る

 

【訳 道徳などは忘れ、後の世のことも思わず、世間の思惑も気にしないでここ京の宿の一室で身も心も引かれあうあなたとわたしは恋に陶酔するのだ】

 結句の「見る」は晶子が源氏物語をとおしてよく知っている意味「男女の契りを交わす」であろうと思われるので、これを取りました。そうなるとこれはすごい歌です。

 ところで晶子が愛と性を美しく大胆にうたうようになったのは、新詩社の機関紙「明星」の1901年(明34)3月号に載せた「おち椿」七九首からでした。

 これに先立つ明治34年1月の9日・10日、与謝野鉄幹と鳳晶子は京都・粟田山の華頂温泉辻野旅館に二泊しました。その二泊二夜は晶子の初体験の陶酔の時間でした。「おち椿」七九首はその時間の結晶です。この七九首によって晶子は新詩社の女王となり、この「おち椿」がこの年8月に出た『みだれ髪』の歌風の中核となります。

 

(余談ですが、この「おち椿」を読んで以後人生が文学にはまってしまった少年がいました。盛岡中学四年生になったばかりの石川一のちの石川啄木です)

 

 さてこのたび『みだれ髪』全体の花の歌を調べて気づいたことがあります。花そのものを中心に据えて詠んだ歌は一首もないということです。その代わりに三つの特徴を見いだしました。

A、花は作者自身またはその歌の装飾品あるいは小道具である。花が歌で主役になることはない。

B、新詩社の女性同人間では相手を花の名で呼ぶことがはやっていたが、その愛称としての花。

C、名のない「花」という抽象的象徴的な表現。この使い方の「花」がもっとも重要。

 

(後略)

 

<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2021年 no.315 季刊>(華道の流派)