〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木の歌碑は40基ほど北海道にあり……

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アオキ

2021年12月6日

文学と映画の旅 68 (石川啄木一族の墓ー函館市)

 石川啄木一族の墓ー函館市

  • 石川啄木は一年の北海道滞在でしかありませんでしたが、啄木の歌碑は40基ほどあり、故郷の岩手県の80基に次いでいます。
  • 函館には4基ですが、函館が一番ゆかりの地といえるでしょう。
    21歳の啄木が「石をもて追わるるごとく」故郷をあとにして、函館の青柳町に住み、文芸雑誌の編集に携わり、函館商業会議臨時雇、函館区立弥生尋常小学校代用教員、「函館日日新聞」遊軍記者などを勤め、ようやく家族をまとめましたが、函館大火に追われるようにして函館を去り札幌に向かいます。
  • 「啄木一族墓」が立待岬の共同墓地に建ったのは大正15年8月1日でした。樺太の北緯50度に建った日露境界標の形を模して
  • 「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の短歌が自筆を拡大して刻まれています。
  • 柳町函館公園には「函館の青柳町こそかなしかれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」が建っています。家族と共に公園前通りに住んでいたので、啄木通りと言われています。

(2021-12-06 viewpoint

 

文学と映画の旅 68 (石川啄木一族の墓ー函館市) – 北海道ビューポイント