
《 いまだから 》
♬ mapで楽しむ「啄木の足跡めぐり」<12>青森県上北郡野辺地町 18 19
18 野辺地町 常光寺 啄木の父・一禎ゆかり
野辺地は父・一禎が野辺地の常光寺に寄寓した関係の地である。一禎が初めて野辺地をおとずれたのは、1879年(明治12)だった。野辺地に一禎は約三年間逗留し、啄木は三度、延べにして三十時間余滞在した。啄木は岩手県盛岡市にある常光寺が生誕の地で、野辺地の常光寺には伯父である葛原対月和尚が住職をしていた。マップを少し動かすと南東方向に愛宕公園の緑色が広がる。
ストリートビューにある門を入り参道をまっすぐ進む(ビューは参道に入らない)。正面の大きな木の左に本堂の屋根が見える。本堂の左にある歴代住職の墓地には、啄木の伯父・葛原対月の墓もある。
啄木の母カツの兄は葛原対月という曹洞宗の僧で、父一禎の師僧でもあった。対月は明治二十八年六月に青森県上北郡野辺地の常光寺住職に転じた。生活苦に耐えかねた一禎はたびたびこの寺に師僧を頼って身を寄せた。このため啄木もまた三度同寺に立ち寄っている。このゆかりから昭和三十七年五月四日、野辺地町啄木歌碑建設の会が中心となり、常光寺にほど近い愛宕公園の中腹に啄木五十回忌記念として歌碑が建立された。
「潮かをる北の浜辺の/砂山のかの浜薔薇よ/今年も咲けるや 啄木」(浜薔薇=はまなす)。碑石は啄木の故郷の姫神山から産出した黒みかげ石、文字は啄木自筆からの集字拡大である。ビューを回転すると、向こうの木の間隠れに津軽の海が意外に近い。
・参考
『啄木の父 一禎と野辺地町』高松鉄嗣郎 青森県文芸協会発行 2006年
『啄木文学碑紀行』浅沼秀政 白ゆり出版 1996年