〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「トウモロコシ=玉蜀黍 <1>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

 

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 玉蜀黍<1>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

玉蜀黍
     しんとして幅広き街の
     秋の夜の
     玉蜀黍の焼くるにほひよ

 


 

初出「一握の砂」

 しんと静まりかえった札幌の幅広い街の秋の夜の、玉蜀黍の焼けるにおいよ。

初出は歌集『一握の砂』。

 区画整然として幅の広い街路。そうした近代的な都市としての札幌の印象と、北海道の人がとうきび、またはとうきみと呼んで親しんでいる秋の味覚の玉蜀黍の醤油をつけて焼くひなびた北国の生活のにおいが、「しんとして」「秋の夜」という語に生かされている。

(岩城之徳・編「石川啄木必携」 1981年 學燈社

 



玉蜀黍 

 南米アンデス山麓原産のイネ科の一年草。大正初年に渡来し広く栽培される。高さ2~3mで茎は太く円筒形。茎頂の穂は、雄花の集合。イネ科には珍しい、雄花と雌花が別々につく雌雄異花で、画期的な品種改良に貢献した。雄花の受精機能を低下させた株に通常の株を並べて植え、風媒で異株間受精させることでよりすぐれた種子を得る。
 成熟した種実の色は白,黄~赤,赤褐,濃褐,暗紫など種々あり,中央がくぼんだ歯形や球形のものが多い。品種は馬歯(デントコーン),硬粒(フリントコーン),軟粒,甘味(スイートコーン,爆裂(ポップコーン),もちなどに大別。
 一般に温暖適雨の地を好む。種実はデンプンを多量に含み,甘味種は未熟種子を生食とするほか,乾燥種子は製粉してコーンフレークス,コーンミール,パンや菓子の原料とする。
 しかしトウモロコシは食用作物というよりむしろ飼料作物としてきわめて重要であり,農耕飼料として利用されるほか,青刈飼料として全世界的に栽培される。世界の畜産を支える作物ともいえる。胚からはトウモロコシ油(コーンオイル)がとれ食用,油脂工業用とする。
 雌花の花柱を日干しにしたものが、利尿薬として使われている。
 米国,中国,ブラジル,メキシコなどが主産地。和名唐唐黍はトウモロコシキビの略。元来唐黍すなわちモロコシキビは唐黍のことで、これに更に唐を加えてトウモロコシと称した。漢名玉蜀黍。トウキビともいう。

花言葉  財宝・富・豊富・同意・洗練

 



「札幌市中央区大通公園の啄木像と歌碑」
北海道内では三基目の啄木ブロンズ像が建てられた。・・最初の計画では右手にとうもろこしを持った啄木像になるはずであったが、いろいろな事情からはずすことになった。

(浅沼秀政『啄木文学碑紀行』 1996年 白ゆり)

 


 

 札幌の秋の夜を詠んだものです。明治四十年九月に札幌に到着した啄木は、その印象を「木立の都なり、秋風の郷なり、路幅広く人少なく」と日記に記しています。また「詩人の住むべき地なり、なつかしき地なり」とも記しています。
 そんな啄木にとって、トウモロコシに醤油をつけて焼いたこうばしい香りも印象的だったことでしょう。

(啄木記念館『啄木歌ごよみ』 平成12年 石川啄木記念館)

 


 

 匂いもまた季節の表情である。どこかしらん、「玉蜀黍の焼く」匂いが漂い流れてきたのである。芳しいあのにおいが。匂いもまた土地の表情であるが、「辺土」に流離ってきた人のこころにしみ入るがごとき匂いは、人のこころの表情で、その土地に生活し、通り過ぎて行った人もまた、その土地に彩を添えるのである。

 「玉蜀黍の焼くるにほい」は、「しんとした幅広き街」の豊かな表情であって「にほひ」によって喚起され、深められる旅情がある。

(上田博『石川啄木歌集全歌鑑賞』 2001年 おうふう)

 


 

 啄木は札幌の碁盤目状の街路と、大いなる街のたたずまいを「幅広き街」と実感しているが、高等小学校と中学校の少年時代を旧盛岡城下で暮らした啄木にとって、あの狭い入りくんだ城下町の道路と比べて札幌の道路を広く感じたものであろう。昭和56年、「しんとして……」の歌碑と啄木像が大通公園に建立されているが、除幕は啄木の札幌入りを記念してこの年の9月14日に行われた。
 除幕式に出席した啄木の令孫石川玲児氏は先年、筆者に「私も、祖父啄木が下宿していた札幌駅北口付近に近い北大病院前に住んでいた」と手紙をくれたことがあった。啄木が住み、妻子が訪れ、実妹光子も札幌の鉄道管理局に勤務し、時をこえて戦後、令孫も住んだという札幌は、石川家の人びとにとって懐かしい土地である。

(好川之範『啄木の札幌放浪』 昭和61年 クマゲラBOOKS)

 



 ・・・札幌の「しんとして幅広き街」に「秋の夜」が訪れます。北海道では「とうもろこし」といわず「とうきび」といいますが、札幌の風物詩「とうきびうり」はすでに当時からありました。ただ、今とちがって当時のとうきび売りは焼くときタレを用いませんでした。したがって「焼くるにほひ」はとうきびの実そのものの焼けてはじめるこうばしいにおいです。このにおいをイメージして読んではじめて歌の世界=1907年(明40)秋の札幌の街に立てるのです。
 自然主義の作家として知られる岩野泡鳴が『放浪』という小説の中で啄木が行った二年後の札幌の秋の風物をこう描いています。

工場とはす交いになっている角に、葉の大きなイタヤもみじが立っている。その太い根もとに、焜爐の火を起して唐もろこしを焼き売りする爺さんがいる。店の道具と云っては、もろこしを入れた箱と焜爐とだけである。
・・渠(かれ)はもろこしの実が焼けて、ぷすぷすはじけるそのいいにおいを、昨夜、酔いごごちで珍らしく思った。

 まるで啄木の歌の名解説といったような一文です。タレは用いずに焼いていることも確認できます。

(近藤典彦『啄木短歌に時代を読む』 2000年 吉川弘文館

 

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(つづく)