◎文芸誌 『視線』第10号
評論 <1>
「啄木最後の日々」
─ 貧窮・結核・予言・創作・佳き人たち ─
近藤典彦
本稿はおくらにする予定のわが石川啄木伝の最終章を約三割削って成ったものである。
宮崎大四郎はその忌むべき背信によって啄木に絶交された。最大のパトロンを絶縁して一家は貧窮と重病が支配する家となった。一家の稼ぎ手は重病の啄木一人である。東京朝日新聞社からの給料前借以外に必要となる経費はかれが工面するしかない。昨年の九月事件直後から記録された「金銭出納簿(家計簿)」の克明な読みは啄木一家の悲惨な実情の生々しい記録である。しかし本稿では明治四四年九月一四日〜一二月三〇日のことには触れる紙幅がない。大晦日の日記全文からはじめたい。
残金一円十三銭五厘(これは九月十四日以後の総収入から総支出を引いた残金である − 近藤)
今日は面倒なかけとりは私が出て申訳をした。
夕方が八度二分
百八の鐘をきいて寝る。
こうして一九一一年(明治四四年)の石川啄木家は歳を越した。
開けて明治最後の年が来た。啄木一家にとっては暗い元旦である。
収入は給料の前借だけ。ものを書いて収入を増やすことは不可能に近い。昨年九月以来そのことは痛感している。支出は一家の生活費と減ってゆかない借金とかさんで行く医療費と。家族でかろうじて健康を維持しているのは、満五歳の京子だけ。啄木と節子と母カツの病気には平復の望みはあまりない。栄養は摂れない、病院代もない、売薬すら買えないのだから。
啄木は縦二〇、五センチ、横一五、五センチの罫の無いノートに「千九百十二年日記」と題して、記入をはじめた。元号を使わないところに「国体」への違和感が見て取れる。その元旦の日記の一部を引こう。
一月一日
今年ほど新年らしい気持のしない新年を迎へたことはない。といふよりは寧ろ、新年らしい気持になるだけの気力さへない新年だつたといふ方が当つてゐるかも知れない。……
(以下略)
文芸誌『視線』第10号
2020.03.27 「視線の会」発行 頒価 500円
「視線の会」 函館市本通2-12-3 和田方
(評論 <2>につづく)