〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <14>

◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

四万十市幸徳秋水碑」から 高知市石川啄木碑」へ <14>

 

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歌碑と定礎

 建立の翌年 父子の歌碑(2010年)

 

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10周年を迎える

貫禄のみえる歌碑(2019年)

 

 

 

 

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父の歌 子の歌

父と子の歌(2019年)


碑の右側にある歌碑の説明板

 

【啄木の歌】

   よく怒る人にてありしわが父の

   日ごろ怒らず

   怒れと思ふ

          啄木

          (啄木直筆からの集字)


【父 一禎の歌】

   寒むけれと衣かるへき方もなし

   かゝり小舟に旅ねせし夜は

          一禎


          (一禎直筆)

 

 

 

 

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碑陰

石川啄木父子歌碑」の碑陰(2019年)


 啄木の父石川一禎は嘉永三(一八五〇)年岩手県に生まれた。渋民村の宝徳寺住職を失職、一家は離散。次女とらの夫山本千三郎が神戸鉄道局高知出張所長として一九二五年に赴任し、一禎も高知に移住した。穏やかな晩年を過ごし、一九二七年二月二〇日に所長官舎(北東約一〇〇m)で七六歳の生涯を閉じた。三八五〇余首の歌稿「みだれ蘆」を残し、啄木の文学にも影響を与えた。

  二〇〇九年九月一二日
     啄木の父石川一禎終焉の地に歌碑を建てる会  建之

 

 

 

(つづく)