◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02
啄木を看取った若山牧水 そのふるさとは宮崎の坪谷 <2>
若山牧水記念文学館
牧水公園
広々とした公園の中に、コテージが何棟も建っていて宿泊できる。巨大なアスレチック施設もある。
写真の手前右に(写ってはいないが)若山牧水記念文学館がある。
この広い通りを右に進み坪谷川を渡る。そこから左に進むと牧水生家や歌碑などが見えてくる。
若山牧水記念文学館入口
右の通路を行くと入口がある。
若山牧水記念文学館は2005年4月1日、牧水公園内に建設された。
宮崎県産のスギやヒノキを用いた木造平屋で、牧水生誕120年に合わせて建てられた。
ラウンジ
(館内は基本撮影禁止だが、数カ所は許可されている)
床板が美しい館内。
正面の棚がミュージアムショップ
ラウンジ
図書を置き、ホールとしても使っているらしい。
生家脇にある説明の石碑
生家の脇に古い記念館があった。
それを今の場所に移した。
牧水記念館 跡
牧水記念館は、昭和40年7月に「若山牧水生家保存・牧水記念館建設協賛会」を結成し、牧水の長男旅人氏に設計を依頼、全国から寄せられた寄付金などによって、生家に寄り添うように建てられた。
若山家遺族をはじめ、牧水を慕う人々の協力により、掛け軸などの貴重な資料を展示、玄関には文豪川端康成の揮毫による看板(現在は若山牧水記念文学館に展示)が設置された。牧水の妻喜志子は、『牧水は永遠に生きる場所を故郷に得ました』とメッセージを寄せている。
以来、国民的歌人若山牧水顕彰の殿堂として親しまれ、全国から多くの牧水ファンや文学愛好者が訪れた。
平成17年3月、惜しまれながらも牧水生誕120周年を記念して開館した若山牧水記念文学館に役目を引き継ぎ、37年余りの務めを終えた。(設計 若山旅人:牧水の長男)
夫婦歌碑 (牧水生家横)
稀なる夫婦 - 牧水・喜志子
をとめ子のかなしき心持つ妻を
四人子の母とおもふかなしさ
若山牧水歌集「黒松」
牧水は一人の女性として喜志子を愛した。もちろん妻として愛し、また子供たちの母として深く愛した。文学の道にともに生きる女性、自分のよき理解者である妻、子ども達をすこやかに育てる立派な母、喜志子はその三つのどの点においても申し分なかった。大正十二年の牧水のこの歌には、喜志子という人生のかけがえのないパートナーに対する愛情が美しい調べで歌われている。
うてばひびくいのちのしらべしらべあひて世にありがたき二人なりしを
若山喜志子歌集「筑摩野」
喜志子にとって牧水は自分の心をすべて分かって支えてくれる最高のパートナーだった。「うてばひびくいのちのしらべ」を共有していた、稀なる夫婦だった。「ありがたき」の原義は、世にはめずらしいということであり若山夫妻はまさに「ありがたき二人」だった。それは二人が純粋で素直な魂の持ち主だったからである。この歌は昭和三年に夫の牧水が世を去った時に、二人の夫婦の生活を振り返って歌った作である。
伊藤一彦
牧水公園の絵地図
現在地の赤丸(中央やや左)の左が牧水生家、赤丸の右が夫婦歌碑、その上が牧水歌碑。右下が若山牧水記念文学館。
(つづく)