◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02
釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <8>
- 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
- 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
- 「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。
19 米町一丁目
ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑
出しぬけの女の笑ひ
身に沁みき
厨に酒の凍る真夜中
所在地 釧路市米町1-1先
建立 1991年(平成3)12月24日
20 浦見八丁目(1)
ふるさとふれあい
街並み整備事業の歌碑
よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手のあたたかさかな
所在地 釧路市浦見8-2先
建立 1991年(平成3)11月18日
釧路時代の啄木については映画やラジオとか有名無名作家の釧路紀行文に屡々描かれてはいますが、案外に的外れのものが多くて何時も失望ばかりして居ります。(中略)
余り有名になった人には誰でも縁故を主張するものでしょうが、私と石川さんのお交際(つきあい)は第三者が考えるよりも淡々としたもので、何と云いましょうか丁度女学生と文学の教師が特別親しく往来が在った位と推量して頂けば本当のところです。(中略)
自作の歌を一首御披露して結びます。六十路すぎ
十九の頃を泌々と
君が歌集に偲ぶ思い出
(「文藝 石川啄木読本」昭和30年発行『私の知っている啄木』近江じん(=小奴))
交差点角に寄り添って立つ石二つ。歩道も車道も広く建物は低い。このあたり一帯が静かで広々としている。
「啄木とさいはての女たち」チラシ (2018年)
関連イベント(これから開催されるもののみ)
◎ 2018年11月10日(土)13:30〜 会場 釧路文学館
講演「(仮)高田松原歌碑拓本について」
安部孝氏(書道家)が東日本大震災の津波に遭った啄木碑について詳しく解説
◎ 2018年11月18日(日)13:00〜 会場 釧路文学館
朗読会
朗読グループ名優座「明治四十一年戊申日誌」石川啄木全集第5巻日記 I より抜粋
啄木をめぐる女性たち 港文館二階展示(2018年)
21 浦見八丁目(2)
ふるさとふれあい 街並み整備事業の歌碑
「しゃも寅の井戸」の半丸形の石が右に見える。
石の前を右に曲がるとすぐに「井戸」がある。
葡萄色の
古き手帳にのこりたる
かの會合の時と處かな
所在地 釧路市浦見8-2先
建立 1990年(平成2)11月8日
【歌意】えび色の古い手帳に残っている、彼女との人目を忍ぶあいびきの時と処であることよ。
【観賞】初出「東京朝日新聞」明治43年5月7日号。「手帳の中より」五首中の一首。紅燈の巷に出入りした釧路時代の思い出を歌ったもの。「會合の時と處」になまめかしい女たちとの過去の思い出が走馬燈のように浮かび上がる。啄木が「釧路新聞」に連載した「紅筆だより」はこのあいびきの思い出の背景となる釧路花界の動静を伝えて興味深い。
(「石川啄木必携」 岩城之徳・編)
22 料亭しゃも寅跡
料亭しゃも寅跡近くの道
啄木は、この「しゃも寅」と、百米ほど離れた「喜望楼」と、そのすぐ隣りの「鹿島屋」というふうに、狭い地域を中心に行動していたようである。よく云われるが、近くにある“しゃも寅の井戸”は、この料理屋の構内にあった昔からの自然噴井戸である。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)
火をしたふ蟲のごとくに
ともしびの明るき家に
かよひ慣れにき
所在地 釧路市浦見8-2 料亭しゃも寅跡
建立 1983年(昭和58)8月5日
しゃも寅の井戸
喜望楼は釧路で一、二の料亭で、啄木もよく出入りしたところ。しゃも寅は小奴がいたことで知られる料亭で、酔った啄木がそこの水を飲んで酔いをさましたという。“しゃも寅の井戸”には、今も冷水が湧き出している。
(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政)
「しゃも寅の井戸、がけ地の補修工事へ」
かつて釧路の名水で知られ、石川啄木ともゆかりが深い市内浦見八の「しゃも寅(とら)の井戸」について、釧路市は新年度、周辺のがけ地の補修工事を行う。同井戸は、水質の悪化で人気が薄れているが、周辺の環境を整備することで、観光スポットとしての復権が期待されている。
(2001年 釧路・根室の出来事(今日のニュース)釧路新聞WEb )
啄木の通った「しゃも寅」 港文館二階展示(2018年)
23 浦見8丁目
ふるさとふれあい 街並み整備事業の歌碑
舟見坂を上り 臨港鉄道住宅の脇に建つ碑。
後ろに広がる海とクレーンが印象的。
波もなき二月の湾に
白塗の
外國船が低く浮かべり
所在地 釧路市浦見8-1先
建立 1992年(平成4)12月14日
周辺には夏草の緑に仄赤い穂がつき、歌碑の色とよく映っていた。
(つづく)