〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木日記「何といふ早いことだらう」 大逆事件の処刑

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[ユズリハ]

 

 『大逆事件』逮捕者たちの「早すぎる死刑」

  大衆は神である(23) 魚住 昭 ノンフィクションライター

 ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。
 時代は、「政治的発言」に対する抑制が強まるころだった。弁論雑誌『雄弁』創刊にむかう清治の目には、「大逆事件」はどう映ったのだろうか――。

 

連載第1回 :「極秘資料を発見!日本の出版のあけぼのと、野間家の人々」
 第三章 大逆事件と『雄弁』、そして『講談倶楽部』―十二人の死 (1)

〇何といふ早いことだらう

  • 幸徳秋水が東京監獄(牛込〈うしごめ〉区市谷冨久町〈いちがやとみひさちょう〉[現・新宿区富久町]にあった)の絞首台で絶命したのは明治44年(1911)1月24日午前8時6分だった。
  • それから40~50分おきに秋水の仲間らが1人ずつ処刑された。11番目の、この日最後の処刑者となる古河力作(ふるかわ・りきさく)が息絶えたのは同日午後3時58分だった。
  • 当時、朝日新聞の校正係をしていた数えで26歳の石川啄木は日記にこう記した。〈社へ行つてすぐ、『今朝から死刑をやつてる』と聞いた。幸徳以下十一名のことである。あゝ、何といふ早いことだらう。さう皆が語り合つた。(中略)夜、幸徳事件の経過を書き記すために十二時まで働いた。これは後々への記念のためである〉

〇「どうか堺さんを、お家まで送ってください」

  • 啄木が「事件の経過を書き記す」作業を終えた、ちょうどそのころ、幸徳秋水の親友だった堺利彦(さかい・としひこ)は大杉栄(おおすぎ・さかえ)、石川三四郎の2人とともに信濃町停車場で電車を降りた。

(2018-10-21 講談社 現代ビジネス)

40~50分おきに次々…『大逆事件』逮捕者たちの「早すぎる死刑」(魚住 昭) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)