〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <3>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <3>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • ここから始まる「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

1 釧路停車場跡 交流ブラザさいわい前

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 釧路観光協会の「石川啄木文学コース マップ」で見ると、この歌碑だけが釧路川の北側にある。ほかは全部、南側になる。
 右に見える案内プレートに「明治34年(1901)釧路に鉄道開通。啄木が「さいはての駅に下り立ち」とうたったのはこの場所である」と表示されている。

 

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浪淘沙


ながくも聲をふるはせて


うたふがごとき旅なりしかな


 所在地 釧路市幸町9-1


 建立 1983年(昭和58)8月5日

 

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『くしろがわ』の表示板と幣舞橋


啄木は開通間もない鉄道で小樽から釧路駅に着き、出迎えの佐藤国司の案内でこの幣舞橋を渡った。雪が五寸ほど積っていたという。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)
 

 

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2代目幣舞橋
(明治42年完成)

 啄木が渡ったのは初代の木橋
で、3代目からはコンクリになり
現在は5代目が架かっている。
  

 

 

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幣舞橋 四季の像

右側は霞む花時計

 


2 南大通二丁目

 

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『くしろ・歴史の散歩道』の歌碑


同じ意匠で計4基ある。

 

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北の海

鯨追ふ子等大いなる

流氷来るをみては喜ぶ


 所在地 釧路市南大通2-2

 
建立 1994年(平成6)1月31日

 


3 釧路市南大通 朝日生命

 

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小奴碑

 

明治四十一年日誌

二月二十二日

“釧路実業新報”の創刊祝いで鶤寅へ。


小蝶に小奴に春吉、小奴のカツポレは見事であった。

 

二月二十四日


鶤寅亭へ飲みにゆく。小奴が来た。

散々飲んだ末、衣川子と二人で小奴の家へ遊びに行つた。
小奴と云ふのは、今迄見たうちで一番活発な気持のよい女だ。
 (啄木日記)

 
 啄木が東京に行ってからの1908年(明治41)12月1日、小奴は前月結婚した夫・逸身豊之輔と上京し啄木を蓋平館に訪ねた。
 後年、母の経営していた近江屋旅館を継承し、近江ジンと名を改めた。この碑は、近江屋旅館のあった場所に建てられた。近江屋旅館は昭和37年11月に閉めた。1890年(明治23)生まれの小奴は、1965年(昭和40)2月17日、東京多摩の老人ホームで亡くなった。享年 74歳。

 

 

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小奴碑 碑文


明治四十一年一月二十一日石川啄木妻子をおいて単身釧路に来る
同年四月五日当地を去るまで釧路新聞社に勤め記者として健筆をふるえり
 あはれかの国のはてにて
 酒のみき
 かなしみの滓を啜るごとくに
当時の生活感情を啄木はこのようにうたう
当時しゃも寅料亭の名妓小奴を知り交情を深めり
 小奴といひし女の
 やはらかき
 耳朶なども忘れがたかり
 舞へといへば立ちて舞ひにき
 おのづから
 悪酒の酔ひにたふるるまでも
漂浪の身に小奴の面影は深く啄木の心をとらえ生涯忘れ難き人となれり
小奴また啄木の文才を高く評価し後年旅館近江屋の女将となり
七十有余年の生涯を終るまで啄木を慕い通せり
今 此処小奴ゆかりの跡にこの碑を刻み永く二人の追憶の記念とす


             昭和四十一年十一月
 
所在地 釧路市南大通り3-2


建立  1966年(昭和41)11月27日

 

 

 

4 釧路新聞社跡 シェルスタンド内

 

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 1983年(昭和58)「石川啄木文学コース」が設置された。そのとき建てられた六基のうちの一つ。ガソリンスタンドの一隅、売り物のタイヤの隣にがんばって建っていた。

 

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十年まへに作りしといふ漢詩


酔へば唱へき


旅に老いし友


 所在地 釧路市大町2-2 釧路新聞社跡付近
 

 建立  1983年(昭和58)8月5日
 

 「起きて見ると、夜具の襟が息で真白に氷つて居る。華氏寒暖計零下二十度。顔を洗ふ時シヤボン箱に手が喰付いた。
 日景主筆が来た。共に出社する。愈々今日から釧路新聞の記者なのだ。

 昨日迄に移転を了した新社屋は、煉瓦造で美しい。
(明治41.1.22 啄木日記)

 

 

(つづく)