〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 わが庭の白き躑躅を……『一握の砂』の想像を絶する仕掛け


[ツツジ]


真生(SHINSEI)2018年 no.307

 石川啄木と花」 近藤典彦
  第十一回 白い躑躅


  わが庭の白き躑躅
  薄月の夜に
  折りゆきしことな忘れそ


作歌は1910年(明治43)10月。『一握の砂』(明治43年12月刊)所収。

さて、『一握の砂』は最初東雲堂から出版されました。この版は啄木が編集・割付をすべて自分でやりました。その際想像を絶する仕掛けを歌集全体に張りめぐらせました。最重要の仕掛けは「一ページ二首、見開き四首」という編集にありました。
掲出歌は東雲堂版『一握の砂』では126−127ページの見開きの第三首目におかれています。
その見開きの全体はつぎの四首です。

  わがために/なやめる魂をしづめよと/賛美歌うたふ人ありしかな
  あはれかの男のごときたましひよ/今は何処に/何を思ふや
  わが庭の白き躑躅を/薄月の夜に/折りゆきしことな忘れそ
  わが村に/初めてイエス・クリストの道を説きたる/若き女かな

一首目。悩める魂を穏やかにしてあげようと、わたしのために賛美歌を歌ってくれた人があった。(はじめてここを読む人には「人」が男女どちらであるか分からない。)
二首目。ああ、あの男のような魂よ、あの人は今どこに住み、何を思っているだろう。(ここではじめて「人」は女性であると分かる。しかも男優りな女性であると。)
三首目で「男のごときたましひ」の人のイメージが一変します。その人は花を愛でる女性でした。帰りがけに、あの白い躑躅を手折っていいか、持って帰って部屋に飾りたい、と。ほのかに光る月の下でのことだった。そして詩人は思う。あのときのことをあなたも忘れないでください、と。
四首目。以上三首を収束しつつ、その女性が当時の「わが村」には希有の「若き女」であったとうたいます。
見開き四首はみごとな起承転結の構成になっています。最後の歌の最後の行に「若い女かな」を持ってきた結句の妙。


「折りゆきし」人は上野(うわの)さめ子という女性です。


今回わかったことがあります。四首をつくったのは1910年(明治43)10月中旬ですが、二首目に「今は何処に/何を思ふや」とあります。上野さめ子は11月上旬に滝浦文弥というクリスチャンと結婚しました。その式場は本郷教会でした。啄木は本郷弓町二丁目に住んでいましたから、式場は目と鼻の先だったのです。お互いにこの偶然を生涯知らなかったと思われます。


<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2018年 no.307 季刊>(華道の流派)