「番町文人通り」
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「番町」とは、千代田区の地名で一番町から六番町まであり、各国の大使館や学校が多く、高級住宅も並ぶ。
市ヶ谷駅と四谷駅と東京メトロ半蔵門駅に囲まれたところに、「番町文人通り」がある。
そこに、石川啄木に少しだけ関連する場所を見つけた。明治・大正・昭和に活躍した文人が住んでいた近くに、啄木が通ったという図書館の跡地があった。
「番町」というと「番町皿屋敷」と繋がって出て来てしまい、少し涼しくなる。
「番町文人通り」の説明板
- 江戸の都市構造と番町地区
「番町」とは、江戸城を警護する番士たちの居住する旗本屋敷がこの地区にあったことが由来。万一のときには将軍徳川家康の逃げ道として、甲州路を抜ける道の安全を確保するための軍事的要塞拠点だった。
- 都市軸
都市軸は、南西にある富士山を望む方向に合わせた。
武家屋敷の敷地は300〜900坪ほどの規模で、長屋門が並ぶ風格のある屋敷街が広がっていた。
1926(大正15年)
菊池寛旧居跡
芥川賞や直木賞を設立した菊池寛(1888〜1948)が有島武郎の死後、その一部を借り大正15年からの一年余り、ここを自宅とし、文藝春秋社を興した。
明治女学校跡
羽仁もと子・野上弥生子ら、先進的な女性を輩出した明治女学校は、1892年(明治25年)から4年間ここにあった。
島崎藤村や荻野吟子らも教壇に立った。
(つづく)