〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 歌人石川啄木は東京朝日新聞の校正係として働いていた

校正者は役目を終えたのか
(3)ワープロ導入で持ち上がった「校閲不要論」

  • 現在の朝日新聞は、1879年1月に大阪で創刊し、9年後の1888年7月に東京で「東京朝日新聞」を創刊した。明治時代の歌人石川啄木が、東京朝日新聞の校正係として働いていたことは、割と知られた話だろう。
  • 東京都中央区築地にある東京本社の校閲センターでは、校閲記者が机に向かい、新聞の1ページ(面)を印刷したA2判のゲラに赤ペンを走らせていた。啄木の後輩たちだ。
  • 朝日新聞では、1つの面の校閲を1人の校閲記者が担当する。この担当者を「面担(めんたん)」と呼ぶ。面担は、1面分の紙を出力すると、まずざっとひと通り読んで、句読点の抜けや誤字脱字などの訂正を行う。
  • 校正・校閲という作業も、時代とともに変化する。「紙は大事だが、それだけをやっていれば良い時代ではない」。東センター長は、そう力をこめる。

(2018-06-08 THE PAGE)


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