〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 「牧水と啄木」国際啄木学会 宮崎大会 <4(おわり)>


[カヤ]


啄木と牧水 -下(つづき)-

 国際啄木学会 2018年宮崎大会

〇 研究発表(つづき)

  • 台湾出身の劉さんは「日本統治期の台湾における牧水 −啄木と対照しながら」と題して、台湾で戦後も続く短歌受容の流れを読み解いた。
  • 台湾では統治期の1895年から1945年にかけて日本語や日本文学の教育が行われ、戦後も日本語教育世代が短歌をつくった。啄木、牧水は教科書や雑誌、文学史論においてしばしば並んで言及され、台湾歌壇には牧水の弟子も存在した。
  • しかし、「啄木は戦後も受容が続き、牧水はあまり語られなくなった」。それは、「啄木は無名の大衆によって読まれ、語られている。自己変革の志と生活への注目が台湾人自身の問題と重なったのではないか」と、劉さんは説いた。
  • 中村さんは「啄木と牧水の韻律をめぐる明治末期の短歌と時代」と題し発表。雑誌「創作」誌上で韻文の危機を論じた尾上柴舟の「短歌滅亡私論」に対し、啄木は「一利己主義者と友人との対話」で「そんならそれで歌にも字あまりを使えば済むことだ」と反論した。中村さんは「啄木は今後の韻律の可能性に言及した。この時代にこのような議論がなされたのは大きな要素」と評価した。
  • 牧水の破調歌の増加や啄木の文語・口語との格闘、新文語体の模索など表現の変遷や工夫についても紹介。「啄木は大きな試みの中から『形が小さくて、手間暇のいらない』歌を選択し、牧水は『ちひさきは小さきままに』歌を詠んだと2人の短歌観を示した。
  • 啄木の臨終の陰で起きていた出来事の考察や国際的視点からの啄木・牧水論、時代背景から再評価する試みなど、さまざまの視点から2人を掘り下げ、現代人の心にも響く魅力の源泉に迫った大会だった。(学芸部・村田英)


(おわり)


(2018-05-18 岩手日報