〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 <地図の上 朝鮮国にくろぐろと …>石川啄木 韓国併合条約

◯ 平和をたずねて
 軍国写影 反復された戦争/29
  「地図の上、朝鮮国に墨をぬる」=広岩近広

  • 大阪毎日新聞が<韓人の運動>として、オランダ・ハーグからの特派員原稿を掲載したのは1907(明治40)年7月3日だった。3人の韓国人が、第2回万国平和会議に突然やって来た。いわゆる「ハーグ密使事件」で、3人は皇帝・高宗の親書を携えていた。軟禁状態の高宗が、密使を派遣したのは明らかだった。
  • 初代統監だった伊藤博文は「密使事件」に激怒する。立命館大学名誉教授で近代史研究者の岩井忠熊さんは、次のように解説する。「第3次日韓協約は、統監が韓国の内政全般について指導するという内容です。実はこのとき伊藤と韓国首相との間で、皇居守衛の一大隊を除いて軍隊を解散させる密約が交わされました。軍隊の解散命令が出ると、韓国軍は反乱を起こし、義勇兵と合流して全韓内で日本軍と衝突します。この激しさを目の当たりにして、韓国の保護国化が持論だった伊藤も、合併するしかないと考え直します」
  • 伊藤は09年6月に統監を辞任する。7月6日には、韓国併合の方針が閣議決定された。そして10月、伊藤はロシア蔵相と会見するため東京をたった。10月26日、伊藤は満州ハルビン駅で、ロシアの蔵相と車中会談をもった。このあと歓迎者の輪から飛び出た韓国独立運動家の安重根に、狙撃され69年の生涯を閉じた。
  • 伊藤を射殺した安重根は翌年の3月、処刑となった。日本政府は5カ月後に「韓国併合条約」を締結する。韓国の皇帝が明治天皇統治権を譲ることを望み、天皇が受け入れたという形式だった。
  • 政府は漢城京城と改称し、朝鮮総督府を置いた。勅令により<朝鮮総督府の総督は陸海軍大将>をもって任じられた。こうして韓国では、皇民化教育が徹底されるようになる。歌人石川啄木は詠んだ。

 <地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつゝ 秋風を聴く>(次回は23日に掲載)
(2017-05-16 毎日新聞>大阪朝刊)


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