〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

先輩石川啄木の足跡を後輩記者がたどる


[歌碑建立記念クリアファイル 石川啄木終焉の地]


拝啓 啄木先輩
漂泊歌人石川啄木が生まれて今年で130年。新聞記者でもあった啄木の足跡を、後輩記者がたどる。


9・東京二 長男失い、妻・母・自らも病に

  • 1909(明治42)年6月、石川啄木の家族が北海道・函館から上京した。本郷の床屋2階で一家4人での生活が始まった。姑との確執が決定的となった妻・節子が長女を連れて盛岡の実家へ去るなど家族での暮らしは息がつまるようなものだった。
  • 仕事は順風だった。作家・二葉亭四迷全集の編纂(へんさん)を任され、「朝日歌壇」の初代選者に抜擢(ばってき)された。だが、1910(明治43)年10月、長男が生後24日で死亡する不幸に見舞われた。12月に初の歌集『一握の砂』が刊行されたものの、翌年2月、慢性腹膜炎で入院。妻と母も相次いで病臥(びょうが)し、一家の生活は悲惨を極めた。
  • 1912(明治45)年4月13日朝、啄木は26年の生涯を閉じた。
  • 東京都文京区小石川の啄木が最後に暮らした借家跡地には、「終焉(しゅうえん)の地」の歌碑が立つ。全国の愛好者からの寄付金などで昨年3月に建てられた。最晩年の歌2首が刻まれている。

呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
 凩(こがらし)よりもさびしきその音!
眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
 さびしくも、また、眼をあけるかな。
    
 拝啓 啄木先輩

  • 文学的成功をつかみかけた矢先に病に倒れるという、映画のような先輩の人生は、その最期もまた劇的でした。
  • 身勝手でわがままで、未練がましくて自己愛が強く、うぬぼれ屋で、現実にいたらとても仲良くできそうな人ではないのに、多くの人が魅了されるのはなぜでしょう。
  • 自己の内面を正直にさらけ出した漂泊の詩人の作品や生き方に、自我を持て余しながら混迷の時代を生きる私たちは、自分と同じにおいをかぎ取っているのかもしれません。(斎藤徹

(2016-10-14 朝日新聞>岩手)


  朝日新聞>岩手 連載

拝啓 啄木先輩
• 9・東京二 長男失い、妻・母・自らも病に (10/14)
• 8・東京その一 職得るも誘惑にのまれる (10/07)
• 7・釧路 漂泊11カ月北の大地に別れ (09/30)
• 6・小樽 安住つかの間 また漂う (09/28)
• 5・札幌 文学への情熱 内に秘め (09/20)
• 4・函館その一 つかの間の「安住の地」 (08/29)
• 3・渋民その二 決意と悲嘆 故郷に別れ (08/29)
• 2・盛岡 自由奔放経て「生活者」に (08/22)
• 1・渋民その一 望郷の思い 輝き永遠に (08/22)