〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <5>

啄木文学散歩・もくじ


5 啄木の姉サダの葬儀を行った『鏡得寺』



曹洞宗瀧澤山 『鏡得寺』山門


背後に山を背負い、木立も豊かな『鏡得寺』。


ここは啄木の姉サダの葬儀が行われた寺である。
啄木の母カツに縁のある常照寺からみると、6kmほど北、東北道小坂ICの近くにある。






「本堂」

  • 昭和三十七年、『啄木発見』の著者・吉田孤羊は、啄木の長姉サダの墓参のため菩提所である小坂町下小坂にある『鏡得寺』を訪ねた。

寺の過去帳には明治三十九年二月の頁には「二十四日、妙訪禅定女 重兵衛 叶 妻サダ 三十一」としたためられてあった。命日の二十四日は二十五日の間違いで、どうして一日早く記録されているのか、その原因はわからなかった。
(吉田孤羊『啄木発見』洋々社 昭和47年)
(「重兵衛」は当時田村一家が住んでいた鉱山の長屋のあった地名)





「瀧澤山」の美しい額


  • サダさんの墓は『鏡得寺』にはなかった。住職の説明では葬儀だけはこの寺でおこない、遺骨は田村家の誰かが、よそへ持ち去ったのではなかろうかとのこと。
  • 田村叶さんが国鉄盛岡工場に勤務していた繋がりで、同じく盛岡工場勤務の知己高橋清さんに頼んで調べてもらった。ようやく、昭和38年4月にサダさんの埋骨の場所が判明した。
  • それは、盛岡市本宮にある宮澤寺(きゅうたくじ)であった。
  • ここまで漕ぎつけ得たのは、日曜毎に、何キロという道を自転車を飛ばして、盛岡近郊の寺々を克明に調べ廻ってくれた高橋さんの異常なまでの努力の賜である。

(吉田孤羊『啄木発見』)




静かな『鏡得寺』の佇まい

  • 昭和11年に66歳で亡くなった叶さんの遺骨は、後に長男が盛岡市本宮の宮澤寺に納めた。

(吉田孤羊『啄木発見』)



 
(つづく)