〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木「ヒミツの日記」がおもしろい

  会社をサボってエロ三昧…ダメ男・石川啄木「ヒミツの日記」がおもしろい
  清貧・不遇のイメージも崩れ去る
赤裸々すきる『啄木・ローマ字日記』週刊現代』2016年9月3日号より

〈 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る 〉

  • 有名な歌の印象からだろうか、明治期の歌人石川啄木には、「才能に溢れながら、清貧の中で死んだ不遇の人」というイメージがある。だが、実際の啄木は、妻子を養うこともせず、周囲から借金をしては遊郭にせっせと通う、まさにダメ男だった。
  • 1909年、23歳で職を得た啄木は、家族を函館に残して上京。そこから2ヵ月あまり、ローマ字で日記をつけており、『啄木・ローマ字日記』として刊行されている。この日記から垣間見える啄木の趣味が、江戸時代の官能小説、いわゆる〈艷本〉の筆写だ。
  • 啄木は、ローマ字で日記を書いていた理由を、「予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ」と記している。だが、妻・節子は外国人に英語を習い、函館で小学校の代用教員をしていた教養ある女性で、ローマ字は読めたはず。
  • 「オレが死んだら日記は必ず焼いてくれ」。啄木がこう伝えていたという日記を公刊できる状態で残したのは、夫の奔放さに生涯悩まされた節子の、ささやかな仕返しだったのか。(岡)

(2016-08-30 現代ビジネス)