〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

「ヒバ」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-



-石川啄木の歌に登場する花や木についての資料-

ヒバ

     ふるさとの寺の畔の
      ひばの木の
     いただきに来て啼きし閑古鳥!


            畔=ほとり


初出「新日本」明治44年7月号
ああ、故郷の寺のそばのひばの木のいただきに来て鳴いた閑古鳥の懐かしいことよ。
本林勝夫氏は、「閑古鳥」の歌4首を「啄木最終期の歌の中でも傑作として注目される」としている。
(「石川啄木必携」 岩城之徳・編)



ヒバ

翌檜(アスナロ)ともいう。ヒノキ科の常緑高木。本州〜九州の山地にはえる。葉はやや質厚く,大きな鱗状をなし,小枝や細枝に交互対生し,表面は緑色,裏面は周囲だけを残して他は雪白色をなす。
雌雄同株。4〜5月開花する。球果はほぼ球形で,種鱗の先端に角が出る。天然林では木曽地方、造林では能登半島は輪島塗の木地が有名。材は建築,器具,土木,橋梁に,樹は庭木とする。樹皮は火縄または縄となる。
ヒノキに似ているが,材質が多少劣るので「明日はヒノキになろう」という願いから,この名があるといわれる。
球果が球形で角のほとんどない変種をヒノキアスナロ(ヒバとも。石川県能登の方言ではアテ)といい,北海道南部〜本州中部に分布する。日本三大美林として知られる青森のヒバ林は本種。しろび、あて、あすひ、あすはひのき、ともいう。

  • 花言葉  変わらぬ友情・不死・不滅




故郷の寺・玉山村の宝徳寺は、啄木の父・一禎が十五世住職を勤めたところです。その寺で、啄木は約十八年間過ごしました。啄木が書斎に使った部屋は現在も残っています。

中学を退学した啄木は、書斎にいて文学への道を模索していました。そんな時、啄木鳥の音に心慰められ、ペンネーム「啄木」となったと言われています。また、寺のヒバの木にやってくる閑古鳥つまりカッコウの声を聞き、その声は啄木の耳から永遠に消えることはなかったのです。
(啄木記念館「啄木歌ごよみ」)


寺の入り口の両側に、十本ばかりの小さな杉の木が行儀よく並んでいる。二三間入ると、左右に二本、おとな二人で手を廻しても届かないほどの檜の木があった。「ふるさとの寺の畔の・・・」と歌われた檜の木がこれだなと思った。今、季節が季節なだけに、耳を聾するばかり啼いているのは、閑古鳥ならなくに油蝉である。

(吉田孤羊「啄木発見」)


万年山を背にした禅寺宝徳寺−−啄木石川一の幼少年期の「ゆりかご」であった。山鳩、鴬、啄木鳥、そうして閑古鳥(郭公)が飛来し、四季の草花の咲き乱れる野山。

境内のひばの木(現在この木は樹齢三百年をこす27メートル余の老木)に啼く閑古鳥は、詩人啄木の至福の時のシンボルとして、故郷を追われたその後の流転の人生の折々に、夢幻の内に飛来し、傷心を癒したのである。
(上田博監修「啄木歌集カラーアルバム」)


「寺の畔のひばの木」に来て啼く「閑古鳥」を、梢高くに仰ぎ見た幼き時の思いが蘇ってくるのである。

「わが生、わが詩、不滅のしるしぞと、/静かに我は、友なる鳥の如、/無限の生の進みに歌ひつづけむ。」(詩「閑古鳥」)高熱と全身の痛み一色に塗抹される、意識の深い洞の中へ、閑古鳥は慰めの声を響かせたのである。
(上田博「石川啄木歌集全歌鑑賞」)



(宝徳寺の)境内に左右対称にひばの木が二本、高くそびえており、遠くからでも宝徳寺の所在がわかるほどでした。・・その高いひばの木のてっぺんに、夏を告げる閑古鳥がやってきて、烈しく、声かぎりに鳴きます。するとその閑古鳥の声が、静かな万年山の裏山にこだまし、ほんとうになんともいえぬ音の交響曲を作ります。

・・かつて十代の啄木は、その閑古鳥を「詩人の思ひとこしへ生くる如、不滅のいのち持つらし、この声も。」と讃えています。閑古鳥の声に、永遠のいのちの響きを感じとった年少の詩人啄木は、今、故郷から離れた異郷の東京にあって、そのときのことを大事に回想するのです。
(遊座昭吾「啄木秀歌」)


啄木一族鎮魂の願いをこめて宝徳寺境内にこの歌碑(「ふるさとの寺の畔の・・ 」)を建立した・・・。啄木が遊んだ境内の池のほとりで除幕式が執り行われた。なお「ひば」は「さわら」の別名であり、「閑古鳥」はカッコウのことである。

(浅沼秀政「啄木文学碑紀行」)


(宝徳寺の)池のそばに大きなサワラの木がある。村の保存樹で梢が点を突くように高く鋭く、遠くからでもよく目立つ。

・・・境内に樹木は多いが、歌に詠まれているそれらしいヒバの木は見当たらない。(寺の奥さんに)聞くと「ヒバというのは裏庭のイチイの木(キャラともいう)とのことです。ヒバに似ているので、そう呼んでいたのでしょう」とのことであった。
(及川和哉「啄木と古里」)



今もなお耳朶にのこる郭公の声を思いながら、そこに育った幼少年期を追想しているのである。

「ふるさとの」「寺の」「畔の」「ひばの木の」と調子をとりながら第三行で一気に「いただきに来て啼きし閑古鳥!」と詠みすえた手法に注意したい。その調べがそのままに高朗な郭公の声を伝えているおもむきである。
(本林勝夫「『悲しき玩具』鑑賞」)