[ヒサカキ]
「啄木 賢治の肖像」
④ 識者に聞く 石川啄木記念館長・森 義真 さん
三つの時期 古里意識
◎啄木はどのような子どもだったか。
- 父37歳、母40歳で生まれた初めての男の子。とてもかわいがられ、わがままし放題だった。頭がよくて村では『神童』と呼ばれていた。おでこが広いことから『でんびこ(おでこ)』とあだ名され、みんなからかわいがられた。
◎啄木にとっての古里渋民はどのような存在か。
- 啄木が古里を意識した三つの時期がある。
◎盛岡中学退学が啄木に与えた影響は。
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- 最も大きいのは学歴社会の中で落伍者としてその後の人生を歩まなければならなかったこと。一方、東京に行ったおかげで与謝野鉄幹、晶子夫妻と出会い交流できたというプラス面もある。ふるさとで詩想をめぐらせたことで、後の詩集『あこがれ』の出版にもつながった。
(2016-01-27 岩手日報)
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