歌碑の向こうに見える野辺地町と野辺地湾
愛宕公園から見る海は意外に近い。
啄木の野辺地訪問 書簡より(『石川啄木全集 第七巻』 筑摩書房)
*書簡のため、実際に訪れた日とは異なっている*
一度目
・1904(明治37)年
九月二十九日青森より 前田儀作宛(略)
途次野辺地駅に下りて、秋涛白鴎を浮ぶるの浜辺に、咲き残る浜茄子の紅の花を摘みつゝ、逍遥する事四時間。正午少しすぐる頃再び車中の人となりて二時青森に入りぬ。(略)青森市にて 啄木
前田林外様
十月十一日小樽より 小林恒一宛
(略)
三四時間野辺地が浜に下車して、咲き残る浜茄子の花を摘み、赤きその実を漁童と味はひなどして再び車便一駆青森に着、その夜そこに冷たき夢を結び申候。
(略)
北海小樽にて 啄木
翠淵大兄 侍史
ハマナスの青い実
二度目
・1906(明治39)年二月二十八日盛岡より 小笠原謙吉宛
(略)
とある暁、夜汽船を青森港に錨投げさせ候ひしより、父が居る野辺地が浦に立ち寄り、又故里の方へも泊りあるきて、四五日前帰宅。
(略)石川啄木拝
小笠原迷宮様 御侍史
三度目
・1907(明治40)年八月八日函館より 宮崎大四郎宛
(略)
夕刻再び車中の人となりて野辺地に下り、凹凸極まりもなき道を腕車にゆられ乍ら、常光寺と申す禅院にまゐり候、八十二歳なる老僧は乃ち我が伯父君にして、父も此処にあり、老母は僕よりも早く着し居候ひき、其夜の心地は宜敷お察し下され度候、
(略)
啄木生
郁雨大兄 御侍史
(つづく)
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