〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その9 (おわり)>

啄木文学散歩・もくじ

「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。
その相手は女を装った男だった……。


かつて木造三階建の旅館「高盛屋」を購入し味噌屋の看板を掲げた


あらためて石川啄木全集(筑摩書房)の日記と書簡から平山良子(良太郎)の記事を探した。

  • 啄木が平山良子から初めて手紙を受け取ったのは、明治41年11月15日。
  • 同日、啄木は「写真お恵み下さる由、鶴首して待上候」と返事を書く。
  • 11月30日 平山良子から写真が届く。「平山良子から写真と手紙。驚いた。仲々の美人だ!」と日記に書く。
  • 12月5日 啄木は、「君。わが机の上にほほゑみ給ふ美しき君。」と平山良子に返信。
  • 明治42年1月6日 啄木は、「お遊びがてら東京にお出でなされては如何に候や、お写絵を見る度にお目にかゝりたく存じ候。」と平山良子に送る。
  • 1月7日 啄木は、菅原芳子宛に「平山さんのことお知らせ下され、お手紙の模様にて何かよからぬ噂にてもある人と想像……。」と書く。
  • 1月15日 啄木は、「菅原芳子から手紙、平山良子は良太郎といふ男だと言って来た。」と日記に書く。


明治41年11月15日に初めて手紙を受け、翌42年1月15日に「平山良子」は「良太郎といふ男だ」とわかる。
騙し騙されたのは、ぴったり二か月。


その短い日々に啄木はどんな夢をみたのだろうか。


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◎「啄木茶房 ふしみや」は、良太郎の息子さんと結婚した治子さんが経営している。
◎良太郎さんは息子さんが生まれてまもなく亡くなった。そのため、「(夫は)父の顔を覚えていない」と語っていたと、治子さんは教えてくださった。

◎また、伺うまでは「良子 = よしこ」と読むと思っていた。治子さんの話では、「 “良太郎 = りょうたろう” が用いた名前だから “良子 = りょうこ” ではないか」とも話していた。






軒下の看板


九州大分のこの地に住む平山良太郎と縁があった啄木。
啄木ゆかりの地は日本列島の北方面に片寄る。
それでも足跡を辿っていくうち福岡県に佐賀県沖縄県に、そして大分県に啄木の息づかいの聞こえる地があった。

それは、人のこころに響く作品を残した啄木の稀有の力であると思う。


      

(おわり)

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