< 私が出会った詩 >
借金暮らしの石川啄木「一握の砂」に「思うに任せぬこと」を感じた
細見和之さん語る(昨年10月に大阪文学学校の第3代校長に就任した詩人)
- 「もう何書いたらいいのよお?」 夏休みの読書感想文の宿題のときなどに、小学校に通う私の娘が困惑して私に問いかけてくることがある。「素直に思ったとおりのことを書けばいいよ」−澄ました顔をして、私はそう答えている。
- けれども、じつは子どものころ私は国語がけっして得意ではなかった。とくに読書感想文というのが大の苦手で、原稿用紙を前にして、いったい何を書けばいいのか、さっぱり頭に思い浮かばなかった。
- ようやく「これは何か言えるかな」と自分で思えたのは、高校1年か2年のときだった。国語の教科書に石川啄木の短歌が掲載されていたのだ。
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
- 啄木の歌集『一握の砂』のなかの、とても有名な歌だ。借金を重ねた啄木の貧乏暮らしのことなど、そのころの私は何一つ知らなかった。しかし、さらさらと指のあいだから落ちてゆく砂を見つめている啄木というひとは、きっと思うに任せぬことがあったのだろうと感じた。したいこと、やりたいことを胸一杯に抱えていても、まわりの事情がそれを許してくれないのに違いない…。
- 高校生の私にたいした志があったのでもないだろうに、そういうことを表現していると感じたのだった。分かるという初めての体験。おっかない国語の先生の授業なのに、わざわざ手をあげたのを覚えている。
(2015-01-31 産経ニュース)
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