〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その2>

啄木文学散歩・もくじ

「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。
その相手は女を装った男だった……。


ふしみやの店先にある説明板。



臼杵商工会議所ニュース  平成25(2013)年9月25日

 臼杵の老舗企業
  明治18年創業 木造三階建の老舗」

  • 当所会員の伏見屋酒店(平山良太郎代表)は明治18年(1885年)創業の老舗です。創業者の平山土五郎氏は、木造三階建の旅館を購入し味噌専業の看板を掲げ自家製味噌の販売を始めました。
  • 二代目の良太郎氏は石川啄木と手紙のやりとりで交流があったことで有名です。良太郎氏の没後は妻のタネ氏が5人の子供を育てながらお店を切り盛りしてきました。(その後、味噌の扱いをやめ酒屋に転身。喫茶サントス出店など)
  • 平成12年(2000)に店舗を一部改装して「啄木茶房 ふしみや」を開店し現在に至っています。


臼杵商工会議所ニュース 4ページ目





「ようこそ啄木茶房へ」

当店では、先代・平山良太郎が残した明治における近代文学資料や引き札広告を展示しています。
啄木と交流していた頃のエピソードを物語る書簡を中心に公開していくことが未来に先人の知恵を手渡すことになると考えています

  • 良太郎は、豊後臼杵で文学グループ「みひかり会」を主宰。与謝野鉄幹・晶子夫妻に師事し「石泉」というペンネ一ムをもらい会員の歌の添削指導を仰いでいた。
  • 石川啄木吉井勇、三ヶ島よし子、茅野雅子、矢澤孝子と歌を通して交流していた。
  • その頃、みひかり会に菅原芳子という人が、啄木と熟烈な恋文を交わしていた。当時色々な雑誌に発表される啄木の作品を読む一方で、啄木のうわさを芳子から聞き、良太郎も啄木と文通したくなり、良子という名で、みひかり会員の作品添削希望と共に手紙を送った。しばらくして返事が来た。会員の作品79首は赤ペンで添削されていた。

      啄木茶房ふしみや





味噌製造業にいそしんだ平山良太郎。



(つづく)


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