〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「ぢつと」見つめる手の指は、きっと白くて繊細


[メタセコイア]


《作品に登場する啄木》
  『貧乏するにも程がある 芸術とお金の“不幸"な関係』
    長山 靖生 著 光文社新書



第四章
 貧乏な上に破滅型 石川啄木


ここからは、作家タイプ別に「経済問題の傾向と対策」を考えてゆきたい。
貧乏な作家や詩人は数知れないが、さしあたって石川啄木は、その代表選手のひとりだろう。
もっとも啄木は、貧乏に耐えた人としてばかりでなく、巧みに借金を重ねては、詐欺同然にしばしば踏み倒した放蕩の人としても記憶されている。
ここで注意しなくてはならないのは、啄木が生まれながらの貧困層出身ではなかったという点である。少なくとも彼が十九歳の時までは、彼の家には人並みに暮らせる程度の収入があった。啄木は盛岡中学に通っていたが、当時の田舎では、これは特別なことだった。もっとも明治三十五年、彼は二度のカンニング事件を起こして、退学処分になってしまうのだが、これは経済問題とは別の話だ。
(中略)
  はたらけど
  はたらけど猶わが生活楽にならざり
  ぢつと手を見る
この歌は明治四十一年以降に作られ、『一握の砂』におさめられたものだ。ここには啄木の生活実感が込められているのだろう。とはいえ啄木の手はペンは握っても、鋤や鍬や、あるいは鶴嘴を握って生活費を稼ぎ出そうという労働者の手とは違っていたようにも思える。見つめる手の指は、きっと白くて繊細だったのではないだろうか。
(中略)
啄木は借金を残したまま、明治四十五年四月十三日、肺結核のために二十六歳の生涯を閉じた。彼の死後、金田一らの奔走によって大正二年に『啄木遺稿』が刊行された。さらに大正八年から九年にかけて『啄木全集』全三巻が出版されるに及んで、夭折の歌人石川啄木は文学青年や文学少女たちに受け入れられ、国民詩人の地位に押し上げられていった。