[賢治を語る]
啄木先輩の影 絶筆は短歌
石川啄木記念館長 森義真さん
日本の近代文学における二つの巨星。石川啄木と宮沢賢治は、共に盛岡中学校(現・県立盛岡第一高校)の出身者だ。「先輩後輩」である2人の関係は、いかなるものだったのか。盛岡一高出身で、石川啄木記念館の館長を務める森義真さんに聞いた。
——啄木と賢治の関係は?
年齢で10歳離れていたため、実際の接触はありませんでした。啄木は賢治を全く知らなかったはずです。
一方、賢治は生涯にわたって啄木の影響を受けていたと思われます。啄木が歌集「一握の砂」を刊行し、賢治はそれをきっかけに、短歌を作り始めたと言われています。
「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」という啄木の歌が有名ですが、賢治も「城址の/あれ草に臥てこゝろむなし/のこぎりの音風にまじり来」という、似たような歌をよんでいます。
——その後の賢治は?
短歌から詩や童話などの多様なジャンルに発展。
賢治は死の直前に絶筆の短歌を残します。
「方十里稗貫のみかも/稲熟れてみ祭三日/そらはれわたる」
(三浦英之)
(2024-02-03 朝日新聞岩手版)