露風は 啄木のつらさを自分のことのように理解していたのでは?
・童謡「赤とんぼ」の作詞で知られる詩人三木露風(1889~1964年)が、詩人石川啄木(1886〜1912年)の死後、その短歌について「芸術的でなく、価値が乏しい」などと評した新聞記事が兵庫県内で見つかった。
・露風の出身地そばの兵庫県穴粟市で発行された地域紙「山崎新聞」の紙面で、啄木については1928年2月26日(昭3年)と同3月1日付で触れていた。
・発見者のジャーナリスト高田智之さんから新聞を借りて調査した日本大の元教授・近藤健史さん(日本文学)は「露風は酷評とは裏腹に、同世代の幸薄い文学者・啄木の生き方に共感していたのでは」とみる。
・露風は、啄木の最初の詩集を〈熱情があり、詩趣があり、芸術的〉と評価。後期の短歌は〈詩才が枯れてきたから〉短歌に力を注いだのでは、と断じた。
・露風は啄木が死去したのと同じ26歳になったとき、北海道の啄木の墓に参り、〈憐みの中に笑ひ 論(あげつら)ひの外に生きて 童児のごと、安らかなる君を〉と哀悼の意を詩で表した。
・近藤さんは、文学に天性の才能を示してプライドは高く、旧制中学を中退─。などの特徴を挙げて「2人は似ている」と指摘。また、2人は短期間、記者を務めたこともある。
・「半ば自暴自棄に生きながら、さみしさを抱えている。露風はそんな啄木のつらさを、自分のことのように理解していたのでは」。近藤さんは想像を巡らせた。
(林啓太)
(2024年1月13日 中日新聞>カルチャー)
石川啄木の歌は「価値が乏しい」 詩人・三木露風が寄稿の新聞記事見つかる 酷評と裏腹に生き方に共感:中日新聞Web