社会文学 第55号 2022年3月1日
特集 文学から読み解く感染症──身体・分断・統治
啄木作品から結核を読み解く
──男性の悲劇物語と運命の神から科学の重みへの変化──
池田 功
(つづき)
<その3>
五 宗教から科学の重みへ
- もう一点確認したいのは、結核に対する啄木の視点が初期から変化したことである。啄木は「秋風記 綱島梁川氏を弔ふ」(「北門新報」1907年9月)で、梁川の死を弔いながら、1905年5月に梁川宅で面会したことを敬愛込めて記していた。しかし、「時代閉塞の現状」では、梁川が結核の苦悩から宗教にのみ関心を示すことに疑問を示している。
- しかし啄木はその後、結核を運命や宗教的な神の問題だけで考えていくことに違和感を持ち始め、結核は「科学」の問題であると認識するに至った。この「科学」は、医学の問題であるとともに、現実の社会や国家の問題であるということを示しているのである。しかし残念なことであるが、啄木は病によってこれ以上の展開をすることなく亡くなってしまった。
おわりに
- 啄木は「あきの愁ひ」を書いてから、結核を病む人が生きていく上で、現実の生活や社会や国家のことを学んでいくことの重要性を認識するに至った。そのような認識を得るために、家族や自らの病の他に立志や徴兵にかかわらざるをえない男性、その中でも青年の結核による悲劇の認識が必要であったと考えられる。
- 啄木は、短歌という短詩型への魅力を次のように記す。
「一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。たゞ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。」(「一利己主義者と友人との対話」「創作」1910年11月)であり、また「忙しい生活の間に心の浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを哀惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。」(「歌のいろいろ」「東京朝日新聞」1910年12月)とも記している。この「一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい」や、「刹那々々の感じを哀惜する心」という考えになっていったのであると考えられる。
(おわり)