《 いまだから 》
♬ mapで楽しむ「啄木の足跡めぐり」<18>栃木県佐野市 春日岡山惣宗寺 啄木歌碑 25
25 栃木県佐野市 惣宗寺(そうしゅうじ) 啄木歌碑
佐野厄よけ大師としても名高い春日岡山惣宗寺の境内に啄木歌碑がある。
(墓前の案内板より)田中正造翁(1841〜1913)は佐野市小中町に生まれ、この惣宗寺を本拠地として政治の道に進み、帝国議会代議士となり憲政史上に不朽の名を留め、全生涯を正義の旗手として人権の尊重と自然保護のために捧げました。翁の没後、当寺院で本葬が執行され、遺骨はゆかりの地五か所に分骨埋葬されました。
ストリートビュー1の中央、赤いカラーコーンの後ろに見える黒い石碑が啄木歌碑。
(碑文)「夕川に葦は枯れたり/血にまとう民の叫びの/など悲しきや 石川啄木」
近代日本の先駆者田中正造翁は 明治三十四年十二月十日第十五議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾銅山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民の窮状を直訴する 当時盛岡中学四年在学中の啄木はこの感動を三十一文字に托した 奇しくもこの年創立された県立佐野中学校(第四中学)の生徒達にも鉱毒の惨状は強い衝撃を与え作文その他に残されている
ストリートビュー2 では、田中正造墓所と啄木歌碑を共に見ることができる。
右隅の樹幹のすぐ左に「嗚呼慈侠 田中翁之墓」と書かれた墓石が見える。全体は読みにくいが “田中” の文字は辛うじて読みとれる。啄木歌碑は左の車のフロントガラスに付いた形で建っている黒い四角い石碑がそれである。
「碑陰」啄木歌碑を建立したのは同寺(佐野厄よけ大師 = 春日岡山惣宗寺)住職の旭岡聖順氏。旭岡氏は昭和27年から48年まで、県立佐野高等学校で教鞭を執っていた。そこで、同校の生徒たちが啄木の歌を通していっそう田中正造の研究を深め、かつ社会奉仕の精神を継承していってほしいとの願いを込めて、この碑を建立したという。(「啄木文学碑紀行」浅沼秀政 株式会社白ゆり出版)