骨董漫遊
【26】石川啄木の日記 その二 絵を評価した理由とは
- 京都の骨董(こっとう)祭で、初恋の人に似た少女の絵を購入した私は、絵のサインの「T・TAMAKI」なる人物について調べた。「美術年鑑」などから、和歌山市出身の玉置(たまき)照信と推定した。
- さて、前回の原稿で紹介した石川啄木の日記に記されている少女の絵は、私が所有する絵だったのか-。
- 玉置の地元の和歌山県立近代美術館に写真を送り、問い合わせた。玉置の絵を数枚、所有するが、彼に関する調査は進んでいないとのことだった。ただ、「絵柄から可能性は十分にある」との返信をいただいた。
- 啄木は玉置らの作品について、日記に「色彩の使い方如何(いかが)はしく旧派に属す」と記している。明治期の西洋画における「旧派」とは、褐色調の暗い画面が特徴的な作品を意味する。玉置が学んだ黒田清輝は、フランス印象派の影響を受けた「新派」を代表する画家だったが、啄木の目には「旧派」と映ったようだ。
- それにしても、啄木が少女の絵を「やや見るべし」と評価したのはなぜか。もしかして私と同じ理由? つまり、好きな女性(後の妻節子)と似ていたから…。単なる臆測である。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事)
(2021-03-01 神戸新聞)