〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

グダグダの人生 でも啄木の歌は素晴らしい

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返済のために親友を人質にした太宰治、60人超に借りた石川啄木…文豪たちのぶっとび借金伝説!

   この記事を書いた人 鈴木拓

「文豪」という言葉から連想されるイメージのひとつに、「印税生活を送ったお金持ち」がありますね。ところが、教科書に載るような文豪でも、台所事情は火の車という人は少なくありませんでした。

60人以上から借金をした石川啄木

歌集『一握の砂』に代表される、数々の名歌を残した石川啄木(1886~1912)。

  • 有名な「はたらけど はたらけど 猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」に象徴されるように、啄木の人生最大の難敵は生活費の工面でした。26年の短い生涯に、借金をした人の数は60人を超えます。その金額を合計すると約1300円。今の貨幣価値に換算すると、大きく見積もって1900万円くらいになるそうです。
  • 啄木にお金を貸した人の大半は、3円とか5円など比較的少額でした。一方で、突出してその額が多かったひとりが、盛岡高等小学校以来の親友・金田一京助で、総額100円でした。無二の親友である啄木がお金に困っているのを見ていられず、自分の生活苦を省みず金銭的支援を繰り返します。それは啄木が逝去するときまで続きました。
  • 京助の100円を超えて最高額の計150円を貸したのは、函館在住の宮崎郁雨(いくう)です。郁雨は、父親が経営する味噌製造所に務めるかたわら、歌人として活動していました。後年、郁雨は「啄木は借金をすることにおいてもやはり天才的であった」と、ある意味称賛しています。これは嫌味でなく、郁雨の啄木に対するリスペクトは、誰よりも大きいものがありました。
  • 経済的にはグダグダの人生でしたが、それでも啄木の歌の素晴らしさは色あせることなく、今なお多くの人の心をとらえています。

(2021-01-19 今日の和樂web 小学館

 

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