みちのく随想
今年の花の色は
山本玲子
- 昨夜も友人とオンライン飲み会をした。夜、やっと一息つく時間帯にスマートフォンやパソコンの前にお酒とおつまみを用意し、お互いの顔を画面で見ながら乾杯するその瞬間、一日の疲れがスーッと消えて行く。
- 共通している話題は、友も大の石川啄木ファン。啄木の話になると止まらない。啄木が病に倒れたのは明治44年(1911年)の年が明けて間もなくのときだった。慢性腹膜炎と診断され、即、入院となった。一か月余りの入院後、自宅療養をするのだが、そうしているうちに肺結核の症状が出、特に毎日のように38度、39度の熱に悩まされ、発熱予防の心配ばかりをしていた。
- さらに啄木を苦しめたのはお金がないことだった。なにせ薬代にかかった。当時、啄木は東京朝日新聞社の社員だったが、入院して以来、出社できず、収入の道は絶たれていた。
「金! 生活の不安がどれだけ残酷なものかは友達は知るまい」
- やがて妻・節子も咳をし出した。・・・
「花は木といふ木に皆よく咲いてゐたが、何となく寂しい色に見えた」
- 病身を押して人力車に乗って、上野公園に花見に行った啄木はそう述べている。
(2020-05-16 岩手日報)