〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木が校正係として入社した木造社屋

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銀座並木通りの啄木歌碑

論座

『いだてん』が描いた/描かなかった朝日新聞社

  • NHK大河ドラマ『いだてん』の番組最後のタイトル画面には、「このドラマは、史実を基にしたフィクションです」というおことわりが入っている。実名で朝日新聞社が描かれていた回に「新聞考証」とクレジットされた社史編修センター長の前田浩次は、ドラマの制作陣が史実を調査するのに協力したのだが、ドラマとしての創作の部分を「史実とは違う」とチェックしたわけではない。ただ、視聴した人たちから、いくつかの場面や出来事について、実際にはどうだったの? とよく尋ねられる。今回から、そうした「フィクションと史実」について報告する。
  • 東京朝日新聞社は、1888年(明治21)の創刊直後、銀座・瀧山町に木造2階建ての社屋を構え、1903年(明治36)に増築した。
  • 1907年(明治40)に夏目漱石が小説記者として入社し、時々の編集会議などに顔を出していたころ、そして09年(明治42)に石川啄木が校正係として入社して通勤していたのは、この木造社屋だ。
  • 伝書鳩の新聞社への導入は、1985年(明治28)に東京朝日新聞が東京・品川駅から瀧山町の本社へと飛ばして記事を運んだのが最初だった。その後、東京・八王子の大火の記事を送るのにも成功した。ただ失敗も多かったようだ。

(2019-10-26 ライブドアニュース

 

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