〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 牧水の人生における啄木の存在の大きさ 

若山牧水との交友は 没後に岩手を3度訪れる

  • 石川啄木記念館の森義真館長の講演会「啄木と牧水・牧水と岩手」は5月27日、盛岡市の渋民公民館で開かれた。石川啄木(1886〜1912年)と啄木の最期を見届けた歌人若山牧水(1885〜1928年)。森館長は2人の交友について、「啄木の26年2カ月の人生において牧水にみとられたことは大きく、牧水にとっても啄木の死は大きな意味を持っている」と解説。
  • 2人が初めて顔を合わせたのは1910年11月ころ、東京・浅草の路上だったといわれる。この後、啄木の元を訪れる牧水の様子が日記に記されるようになる。牧水が初めて訪ねてきた日の啄木の日記には「今は実際みンなお先真暗でござんすよ」という牧水の言葉が記されている。
  • 牧水が岩手を訪問したのは、1916(大正5)年3月15〜20日、1926年9月22〜23日と11月27〜12月1日の3回。盛岡市の菊池知勇宅に滞在し、盛岡中などを訪ねたり、北上市の福地房志宅に泊まり、啄木の短歌も朗詠したという。
  • 森館長は「牧水は3回の訪問それぞれで啄木をしのび、朗詠し、岩手で啄木に寄り添っていた」と、心情を推し量る。
  • 牧水の名歌から「虚無党の一死刑囚死ぬきはにわれの『別離』を読みゐしときく」を挙げ、「牧水は啄木を通して(大逆事件など)社会現象にも目を向けていった」。牧水の人生における啄木の存在の大きさを改めて語った。

(2018-06-01 盛岡タイムス)