[ベニバナトチノキ]
啄木と牧水 -上(つづき)-
国際啄木学会 2018年宮崎大会
〇 鼎談(つづき)
- 牧水が1910(明治43)年に創刊した雑誌「創作」は北原白秋ら早稲田大時代の友人や啄木などの新世代を集めた。尾上柴舟の「短歌滅亡私論」に啄木が「一利己主義者と友人との対話」で反論するなど、歌壇に清新な風を起こした。
- 伊藤さんは「短歌滅亡が論じられるような時代に、新しい歌を模索していた牧水の心に啄木の歌が響いた」と、牧水と「創作」にとって啄木が欠かせない存在だったことを指摘。
- 三枝さんは明治43年を「(牧水の「別離」や啄木の「一握の砂」など)名歌集の集中した年」とし、与謝野晶子ら和歌革新の第1世代に次ぐ第2世代が成熟したタイミングだったとした。
- 「一握の砂」巻頭歌の「「東海の小島の礒の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」は「創作」自選歌号の冒頭に置かれていた。太田さんは「既に『一握の砂』の原型がある。名歌集のデッサンは自選歌号で決まった」と論じた。
(2018-05-17 岩手日報)
(つづく)