〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木も使った相馬屋の原稿用紙 秘話

[相馬屋製の復刻版原稿用紙]


偶然が生んだ原稿用紙 「マス目入れたら」紅葉の一言 相馬屋当主が語る秘話 長妻直哉  [日本経済新聞]

東京・飯田橋駅を出て早稲田通りを矢来町方面にのびる坂を上る。通りから垣間見える細い露地の石畳や黒塀が今も花街の風情を醸し出す街「神楽坂」。そこに、原稿用紙発祥の地である相馬屋源四郎商店がある。創業約360年。私が11代目当主を務める。

〇なぜ、原稿用紙が生まれたのか?

  • 初代は紙漉き職人
    • 現在は文具店を営んでいるが、江戸時代前期に創業した初代の源四郎は紙漉(す)き職人だった。漉くための川が近く、物流拠点として整備された船着き場があ り、在庫を保管するため浸水の恐れのない小高い場所を求めた結果、目を付けたのが神楽坂。当時は読み書きできるのは位の高い人で、紙は貴重なものだった。明治期には西洋紙も取り扱うようになる。ただ、規格はなく、縦横の長さの注文を受けてロール状の西洋紙を裁断していた。注文は口頭のため、言い間違え・聞き間違いが起きて納品に失敗し、返品されることもあった。
    • 上質な紙だけに廃棄するなんてもったいない。対処に困った当時のお店の番頭は、返品された紙を店先に積んでおいた。そこに現れたのが「金色夜叉」で知られ る作家の尾崎紅葉。「マス目の入ったものを印刷してはどうか」と助言したという。これが現在の洋紙を用い た原稿用紙の始まりとなった。
    • 北原白秋坪内逍遥石川啄木志賀直哉夏目漱石ら名だたる作家が相馬屋の原稿用紙を愛用した。
  • 愛用する作家たち
    • 今でこそ、子供たちが読書感想文を原稿用紙に書くまで大衆化したが、原稿用紙を売り始めた当初は主な顧客は作家。野坂昭如さんや、脚本家の倉本聰さんにも愛用してもらっている。現在放送中のテレビドラマ「やすらぎの郷」のオープニングのラストカットの原稿用紙は相馬屋のものだ。
  • 復刻版は即売り切れ
    • 2011年には「相馬屋原稿用紙 明治中期復刻モデル」をネットで限定販売した。マスが少し横長で、中央部には半分に折ったときに両端がピッタリ合うように折るための印「魚尾」をあしらい、当時の屋号も左下に刻印した。発売と同時にすぐに売り切れた。こだわりの紙質を維持するため、実は作れば作るほど赤字が膨らむ。しかし、「相馬屋のものを」と指名してくれる人がいる限り、採算度外視で作り続ける覚悟だ。(ながつま・なおや=相馬屋源四郎商店11代目当主)

(2017-08-31 日本経済新聞


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