〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 石川啄木の曾祖父は 戦国忍びの伝系の隠密同心…


[真言宗大谷派 心光山常照寺]


◎ 芸文かづの 第43号(平成29年3月31日発行 秋田県鹿角市芸術文化協会)

「啄木の母方の曾祖母熊谷ヱイ(毛馬内常照寺生まれ)と曾祖父工藤乙之助(おとのすけ)について」
    村木哲文


1 啄木の母方の曾祖母熊谷ヱイ(毛馬内の常照寺生まれ)について

  • 熊谷ヱイの孫が啄木の母カツであり、啄木の顔かたちや気質が母カツに似ていると親友の金田一京助を初め多くの人が語っていることから啄木は鹿角の血筋を引いているのではないかと思われる。なお、啄木の母カツの写真は一枚も残されていない。
  • 毛馬内の常照寺・熊谷文子氏によれば、大正12年の火災で古い資料等一切焼失しているので以前のことは不明。
  • ヱイの墓を、盛岡北山の本誓寺に訪ねたが、明治30年の火災により過去帳を焼失しているので、それ以前のことは不明。
  • 熊谷ヱイの長男条作の墓は、盛岡市仙北町の長松寺の工藤家の墓に眠り養子の件も併せて戒名碑に刻まれている。


2 啄木の母方の曾祖父工藤乙之助(おとのすけ)について
 [工藤乙之助(啄木の母カツの母ツヤの父)]

  • 佐々木京一「一揆の奔涛」(宇霊羅山房平成12年)のなかの「啄木の文学の血脈」には次のように書かれている。

石川啄木の曾祖父・工藤乙之助は、戦国忍びの伝系の隠密同心にして、一族、探索人グループを指揮する首領であり、薫風俳諧を嗜む首切り役人である」と断定する。
「啄木の激情は隠密同心工藤一族の血の流れの果てに存在する。だかしかし、明治という時代認識を突き抜けて、「ヴ・ナロード(民衆の中へ!)」と歌った啄木の思想は、隠密衆の思考とは無縁であるばかりでなく、全く正反対の一揆衆の思想に近い。」


  ◯ 主要参考文献『啄木の母方の血脈 ─新資料「工藤家由緒系譜」に拠る─』(編集 森 義真・佐藤 静子・北田 まゆみ)