〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

金田一京助は3mを超す手紙に 啄木が来た喜びを書いた


[ヒマラヤスギ]


《作品に登場する啄木》
 金田一家、日本語百年のひみつ』

  金田一秀穂 朝日新書 2014年 760円+税

  • 晩年、いろいろな場所に呼ばれて講演をするのが、京助も楽しかったのだろう。石川啄木の臨終の報に呼ばれて駆け付けた話とか、アイヌの人々との心の交流の話とか、ドラマチックなネタはたくさんあり、それを情熱を込めて語るのだ。何度同じ話をしても、同じところで絶句し、同じところで涙することもあったらしい。聴衆にとっても、感動的であったらしい。
  • 金田一菩提寺は、龍谷寺という。石川啄木の母が、この寺の住職の妹である。後に親友となる啄木と京助は、自然に結ばれるようになっていたことが分かる。
  • 盛岡市内にてがみ館という施設があって、盛岡に縁のある著名人の手紙を集めて展示している。その施設が所有する最も長文の手紙が、京助の書いたものであるというので見に行った。3メートルを超す毛筆巻紙のものである。石川啄木が上京して京助の下宿に転がり込んできて、そのことの喜びを盛岡にいた共通の知人に書き送ったものだった。文体が饒舌であり、しかしその分、京助の肉声が聞こえてくるようなものだった。
  • 市の先人館という施設には、新渡戸稲造、米内光政とならんで、京助の展示室が用意されている。昔京助が使っていた書斎がそっくりそのまま移設復元されていて、ふすまの模様が懐かしかった。こうして保存して、故郷を守っている人たちに、いくら感謝しても足りない。


【初代】金田一京助(きんだいち・きょうすけ)
1882(明治15)年、盛岡市生まれ。石川啄木の親友として知られる。1971(昭和46)年没、89歳。
【二代目】金田一春彦(きんだいち・はるひこ)
1913(大正2)年、京助の長男として東京都に生まれる。2004(平成16)年、91歳で没。
【三代目】金田一秀穂(きんだいち・ひでほ)
1953(昭和28)年、春彦の次男として東京都に生まれる。