《作品に登場する啄木》
『金田一家、日本語百年のひみつ』
- 晩年、いろいろな場所に呼ばれて講演をするのが、京助も楽しかったのだろう。石川啄木の臨終の報に呼ばれて駆け付けた話とか、アイヌの人々との心の交流の話とか、ドラマチックなネタはたくさんあり、それを情熱を込めて語るのだ。何度同じ話をしても、同じところで絶句し、同じところで涙することもあったらしい。聴衆にとっても、感動的であったらしい。
- 盛岡市内にてがみ館という施設があって、盛岡に縁のある著名人の手紙を集めて展示している。その施設が所有する最も長文の手紙が、京助の書いたものであるというので見に行った。3メートルを超す毛筆巻紙のものである。石川啄木が上京して京助の下宿に転がり込んできて、そのことの喜びを盛岡にいた共通の知人に書き送ったものだった。文体が饒舌であり、しかしその分、京助の肉声が聞こえてくるようなものだった。
- 市の先人館という施設には、新渡戸稲造、米内光政とならんで、京助の展示室が用意されている。昔京助が使っていた書斎がそっくりそのまま移設復元されていて、ふすまの模様が懐かしかった。こうして保存して、故郷を守っている人たちに、いくら感謝しても足りない。
【初代】金田一京助(きんだいち・きょうすけ)
1882(明治15)年、盛岡市生まれ。石川啄木の親友として知られる。1971(昭和46)年没、89歳。
【二代目】金田一春彦(きんだいち・はるひこ)
1913(大正2)年、京助の長男として東京都に生まれる。2004(平成16)年、91歳で没。
【三代目】金田一秀穂(きんだいち・ひでほ)
1953(昭和28)年、春彦の次男として東京都に生まれる。