〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

<6年目の被災地>啄木のいとこのひ孫 歯科医として奮闘 

啄木歌碑に復興誓い 釜石旅行から116年
 いとこのひ孫・工藤さん、歯科医として震災で奮闘 /岩手

  • 石川啄木は、明治三陸津波(1896年)から4年後の1900(明治33)年7月。旧制盛岡中学3年担任の冨田小一郎先生に引率されて、三陸沿岸を北上した。釜石には7月25日昼ごろに入り、いとこの工藤大助方に到着し世話になった。
  • 工藤大助は母方のいとこ。災害で医師がいなくなった釜石に、県の要請で盛岡から赴任した。一度は盛岡に帰るが、再び釜石に戻って生涯地域の医療に尽くした。俳人としても知られた。
  • 工藤さんら親族は震災から4年半が過ぎた昨年10月、釜石市の協力を得て、大町の青葉通り緑地に歌碑を建てた。歌碑には、石川啄木記念館館長の森義真さんに選歌してもらった「ゆゑもなく海が見たくて 海に来ぬ こころ傷みてたへがたき日に」(歌集『一握の砂』所収)を彫り込んだ。
  • 25日は、啄木が釜石に足跡を刻んでから116年。いとこのひ孫で釜石市大町の歯科医、工藤英明さんは東日本大震災で海辺の診療所を流された。工藤さんは避難所を回って歯の応急処置に努める傍ら、歯型から遺体の身元を割り出す作業にも取り組んだ。
  • 工藤さんは啄木の歌碑を前に「復興する釜石の姿を見守ってほしい」と願う。【鬼山親芳】

(2016-07-26 gooニュース>毎日新聞