〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

藤沢周平 - 1 <教壇の上に袴姿の啄木が見えた>


[ガラス障子]


《作品に登場する啄木》
  『ふるさとへ廻る六部は』
    藤沢周平  新潮文庫 平成20年
 

◉岩手夢幻紀行


 ×月×日

  • およそ三時間で盛岡に着いた。
  • 今日の日程は、ホテルに荷物をおいて日のあるうちに啄木の故郷渋民村に行って来ることである。
  • 車は台地から見えていた下の村に降り、やがて道ばたの杉の巨木のそばでとまった。そのあたりが玉山村日ノ戸で、杉の木を正門のようにしてその奥に建つお寺が曹洞宗日照山常光寺、すなわち啄木の生家だった。啄木は明治十九年二月に、このまぶしいほどに光に装飾された寺名を持つ寺に生まれたのである。
  • そこから玉山村渋民までは、車でほんのひと走りだった。村の中心地とおぼしいそこに、国道四号線をへだてて西に啄木の歌碑、東側に去年出来たばかりの啄木記念館新館、育った家である宝徳寺がある。私たちは歌碑の方から見た。
  • 雪の日に、村民二百人が橇ではこんだという巨石の歌碑が立ったのは大正十一年で、これが啄木歌碑の第一号だという。もっとも現在の歌碑は、北上川の浸食から守るために最初の場所から五十メートルほど移転され、最近台座を取りかえたという話である。「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」という歌碑は、北上川をのぞきこむ崖の上のうつくしい小公園にある。またここからは岩手山が真正面に見える。「岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる虫を何と聴くらむ」の岩手山は、頂きのあたりがはやくも冠雪してどっしりとそびえていた。
  • 新設の啄木記念館には、啄木の少年時代からの遺品、自筆原稿、手紙、借用証書、作品を掲載した雑誌、渋民小学校のオルガン、啄木と北海道時代、東京時代を展望するパネル展示などがあったが、私は一昨年春に東京・吉祥寺でひらかれた啄木展でひととおり見ているので、感銘はそのときほどではなかった。しかし大勢の観光客が館を訪れていた。
  • 同じ敷地の中に復元されている渋民尋常高等小学校を見に行く。ひとつかみほどの小さな学校である。しかし小さくて固い椅子に座ると、私の目線は明治三十年代末の生徒の目になって、教壇の上に袴姿の啄木が見えた。よく復元してくれたと感謝したくなった。

(「オール讀物」昭和63年2月号)



(つづく)
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