〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木茶房 ふしみや」に残る啄木の手紙 大分県臼杵市 <その7>

啄木文学散歩・もくじ

「君は若き女にして、我は若き男に候ひけり」と長い恋文を書いた啄木。
その相手は女を装った男だった……。


臼杵新聞 明治(42年、または、43年。読み取ることができない)1月1日付








上記、臼杵新聞の左中央部分(ちょうど光が当たっている)を拡大したもの


このシリーズ<その2(1月21日)>で触れた、「ようこそ啄木茶房へ」の説明ボードに以下の文がある。

《「みひかり会同人誌」や「臼杵新聞」の短歌欄に啄木、与謝野夫妻、平野万里、吉井勇が顧問となった。》


写真に説明は無かったが、「みひかり会の短歌」に添えて、これらの人の署名を掲載したものと思われる。







「ふしみや開店」の新聞記事
(10月6日付(年不明)、西日本新聞


上記の写真記事とは別の共同通信の記事

啄木の恋文相手、実は男性 だまされ熱い思いつづる
2003年1月7日【共同通信
歌人石川啄木(1886−1912年)が美女のふりをした男性にだまされ、「美しき君」と熱い思いをつづった恋文が、大分県臼杵市で公開され話題を呼んでいる。研究者以外にはほとんど知られていないエピソード。早世のため啄木の書簡は数少なく、意外な一面を示す資料だ。
「良子」と名乗り恋文を交わしたのは臼杵市唐人町のみそ製造業平山良太郎さん(1886−1932年)。良太郎さんを義父に持つ平山治子さん経営の「啄木茶房・ふしみや」で、手紙4通とはがき2通を順次展示している。
文学青年だった良太郎さんが啄木に手紙を出したのは1908(明治41)年。受けを狙って若い女性をかたったところ、「写真鶴首(首を長く)して待上候」と返事が。いたずら心もあり、京都祇園の名妓(めいぎ)の写真同封で返信した。


(つづく)


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